ありがとう・・・
いい言葉ですよね。
不平不満、悪口、愚痴に比べたら、『ありがとう』の一言は、人の心に明るさをもたらします。
ただ、『ありがとう』にも種類があって、なるべくネガティブな言葉を使わないように、意識して『ありがとう』を口癖にしていると、本当に口だけの『ありがとう』になってしまうことも多いですよね。
人を嫌な気分にさせる言葉を発するよりは、口癖の『ありがとう』はましですが、そこに心が入らなくなったら注意と私は思います。
『ありがとう』は本当に『ありがとう』の気持ちを持って伝えるから伝わるのであって、心のこもってない口だけの『ありがとう』は、相手にもなんとなーく伝わってしまうような気がします。
人はみんな賢いので、そういった感情はすぐ見抜きます。
これは納得じゃないですか?
さて、ここから一歩進んでみます。
心から思う『ありがとう』にも私は種類があると思っていて、些細な日常の『ありがとう』から、人生を変える『ありがとう』までありますよね。
人生を変える『ありがとう』というのは、どれだけ目の前の人の人生に真剣に向き合えたかだと思うのです。
相手に100%向き合う覚悟があるか、相手の人生を背負うくらいの勇気があるか、これは意識が完全に相手に向いていないとできないことであって、自分にベクトルが向いていてはできないこと。
これができるのは徳を積むことを知っている、徳がある方なんですよね。
何もそういう人間になりましょうという話ではなくて、相手の心に寄り添う心がけでいれば、心からの『ありがとう』に出会える可能性は高いということです。
私自身がそうだったのですが、心から感動し『心からありがとう』と言えた方というのは、自分自身が挫折をし、その苦しみを味わっていた方でした。
時には裏切りにもあって、悔しくて悲しい思いもしていました。
もしかしたら、妬みや恨みも受けて来たのかもしれません。
本人にとっては辛いことも、これらの感情を味わうことで人の痛みがわかるんですよね。
仕事でもね、どんな『ありがとう』を言われるかで、自分の満足度って変わるんですよ。
私は税金、会計系の仕事をしていたんですが、そこで言われる『ありがとう』って、
・もう少し〇〇できないかな?
・〇日必着で決算書を欲しいんだけど。(こんなことを言う方は、たいてい中身がめちゃくちゃ。そして、時間の余裕もくれないことが多いです)
に対してで、
私の心ではいつも何か満たされないものがあったんですよね。
でも、これも『ありがとう』。
今、私はこうして不登校のブログを書いていますけど、
メッセージを頂くたびに心が伝わってきて、傍で話を聴いているような感覚になるんです。
痛みがわかるから、向き合おうと思えるし、心を軽くするために私ができることは何かな?と考えることもできます。
決して同じ状況ではないんですけど、痛みの種類は同じだと感じます。
そして、心の問題をクリアしていく過程も同じで、各々の段階でみんな頑張っている、そう思えています。
共にクリアにできたら・・・
それができたら、それが私からの『心からのありがとう!』
今日はちょっとそんな未来をイメージング。決して不可能ではない未来です^^
子供の不登校から、
隠れたい・・・
と思っていた時期もありましたが、今はそんな気はなくなり、すべてを話せる心境にまでなっています。
話すことで、実は私の心が軽くなったというのもあります。
これには心の段階というものがあって、徐々に徐々に話せるようになるもの。
話せるということは、自分の中では過ぎた事実で、もうすでに過去の経験で、自分の糧になっているということなんですね。
だから、過ぎた事実のことは、いくらでも話せるし、書けるし、書くことで得られる反応でまた私も気付くことがあるし、
今日は読んでくださっているあなたに『ありがとう』を伝えたくて・・・
人生を変える『ありがとう』を下さっているあなたに感謝いたします。