サクッと書くつもりが長くなってしまっています(笑)。早速続きを書いていきますね。
前回は、
- 私たち夫婦は職場結婚で、息子が生まれる前まではとても仲が良かったこと
- 息子が生まれてから私たち夫婦の関係に変化が生じてきたこと
- 幼少時は入院しても一切病院にこない主人に対し不満を抱いていたこと
- 不登校になってからも、学校もカウンセリングも卒業式も学校の見学も全て、協力をお願いしても却下されたこと
- 主人は独身時代と変わらない生活、私は激変続きの生活に不公平感を持っていたこと
- 息子の成長により、少しづつ主人と私の関係が浄化されつつあること
などをお伝えしてきました。
「あー、うちも同じ〜」と思っている方もいらっしゃるのかな?
我が家は、仕事一筋の昭和の男の典型ですよ(笑)
働き者ですが、家のことはホント一切しない人。
今日もですねー、私が灯油40ℓをひいこら持ちながら、マンションの4階まで運んでおりました。
お腹が空いても、自分で何かを食べるということもしないで私の帰りを待っているし、味噌汁をお椀に入れるのに鍋を傾けて入れようとする人です。
おたまというもの知らない???と、これには正直びっくりしました。
先日は、やかんのお湯をカップに入れるときに、やけどをするし(残りのお湯を全部を入れようとして、蓋を抑えずにやったらしく、蓋が落ちて蒸気で水ぶくれのやけどをしたのです)、家のことは何もしなくていい環境だったんでしょうね。
育つ環境が違えば、これも致し方なし。
私の育った環境は私の実家のルールであって、人とはやっぱり違う。かといって、それを押し付けてもいけないし、責めるものでもないと思います。
本人が必要と感じたときにしか動くことはないと思うので、ここは今も辛抱してみています(笑)
あ、また余計なことを書き出していますね^^;
話を戻します。
主人はですね、通信制高校を快く思っていなかったというところですね。
主人の実家にも、主人の口からは一切伝えることはありませんでした。
そのことで義兄と喧嘩になり、私が謝罪の電話を入れたくらいです。
義両親は主人の心中を察してくれてたのか、何も言いませんでしたけどね。
主人が通信制高校を親、兄妹にも言えない理由・・・
これは、未だにわかりません。
私の想像で書いてみますけど、
- 人を判断する基準が「出身高校」という慣習のある地方で育っているので、高校のブランドが大事と思っていること
- 普通高校でないと就職試験の履歴書で弾かれ、ハンデを背負うことになると心配をしたこと
- 大学受験を考えたときに、通信制高校では学力面で不利になること
- 普通に通えればそこそこの成績を残すであろう知力があるのに、それを伸ばせないことに悔しさを感じていること
この辺りでしょうか・・・
一言で片付ければ、とにかく心配だったのだと思います。
主人にとっては、辛くて長い3年間だったでしょうね。
家族で一番苦しかったのかもしれません。
と、今、面白いことに気づきました。
私が一番苦しんだのは、不登校初期の小学校時代。不登校について、何にもわからない状態でしたから^^;
息子が一番苦しんだのは、中学校時代です。学校環境も合わず、義務教育の縛りも受けていましたから^^;
そして、主人が一番苦しんだのは、高校時代。日本の教育のレールから完全にはみ出してしまいましたから^^;
そして、今一巡して3人揃って平和かな?
息子が大学に入ってからは、主人が一番変わったかもしれませんね。
大学合格を一番喜んだのは主人でしたし、何度も封筒から出して合格通知を眺めていたり、息子の方が先に家を出るときは、窓から息子の後ろ姿が見えなくなるまで見送ったりしています。
すごく強がっているようで、本当は家族で一番の心配症・・とわかってきたのが、銀婚式を迎える頃ですよ(笑)
息子も冷静に分析をしていて、
「お父さんはね、ばあちゃんに似てて心配性なんだよ」と言います。
息子が言うには、私のことも心配しているんだそう!(◎_◎;)
主人は出張が多くて、家にいないことが多いですからね、私がここに一人でいても心配だし、息子一人でも心配。
息子も見かけは成人男子になってきたので、二人くっついていてちょうど良いと思っているよ、と言うんですよね。
主人から息子に話しかけることも多くなったし、本当に安心したんでしょうね。
それに、息子が臨床心理士を目指す!といったこともプラスに働いていると思います。
主人は最初は公務員を目指していたし、今も会計系なのでお堅い仕事です。
息子が仮に「俺はプロボウラーになる!!」と宣言していたら、また家庭内の環境は難しかったかも・・です^^;
主人の心配は、息子の将来なんですね。
ちゃんと稼いで、家族をちゃんと養っていけるのか!ここなんだと思います。
通信制高校だから職業が限定される、とはサラサラ思っていないのが私の頭ですが、主人の考えはそうではなかったんですよね。
ここは考え方の違いがあるのかもしれません。
小学校、中学校が不登校だろうと、通信制高校だろうと、大学がどこであろうと、将来の息子が、必要な方に価値を届け、人のお役に立てて、そして、感謝される働きをしていたら、私はそれで嬉しいです。
実際そうなったときに、これが息子がたどる道だったのだと言えるのだと思います。
親の願いとしては違った道に迷い込んでしまった・・と思えるのかもしれないけど、それは後から気づくものだと思いますよ。
エリートコースを歩んでいるように見えても、本人の心は本当は違うものを求めていたことに気づくことだってあるんですよ。
どんなエリートコースも心の欲望には勝てないような気がします。
人生のどこかの段階で「俺の人生はこれじゃない・・・」と心が訴えかけてくるように思えるんですよね。
中には、慣習にすっぽりハマって自分を抑えながら「そういうものだ・・」と我慢のまま歩んでしまう、真面目な方、辛抱強い方もいるとは思いますが、
どちらの人生が生きやすいでしょうか?
不登校の子供達は今は生きづらいかもしれません。
でも、人生トータルで見れば、生きづらい選択を避ける感覚は優れていると思います。
将来生きづらい選択をしないために、今の生きづらさを選択している!
日本人は多数派に所属することに安心しますから、多くの人が選択する方にいる方が安心感を持ちますけど、これはあくまで親の安心感にしかならないんですよね。
多数派を離れるのは怖いですよ。
怖いけど、将来苦しむ子供を見るのはもっと怖いです。
苦しみのない人生はないけれど、子供が苦しくても頑張れるところに身を置けるように応援したいですね!