息子は1歳から喘息と診断され、18歳の現在まで通院治療を続けています。
1~2年に一回、呼吸器系の検査をするんですけど、その検査を受けてきました。
結果はグラフ表示され、そこには標準とされる数値グラフも予め表記されているんですね。
ですから、自分の検査結果と標準値との比較が一目瞭然なんです。
結果は、『あ~、やっぱりな・・・』と想像通り。
標準値よりははるかに低い位置にあるグラフでした。
その結果を持って診察へ向かいます。
検査結果を見てドクターが言ったことは、
『すごくいい結果出てます。良かったですね^^』
『飲み薬をやめてみましょうか^^』
だったのです。
一瞬私は『???』
でも、すぐに罠に陥っていた自分に気付きました。
私は息子の結果を標準値と比較していたのです。でも、比較すべきは前の息子の結果なんですよね。
人と比較することで自分のことに気付くということは多いですけど、比較対象より自分の数値が良くないというだけで、自分にダメ出しする必要なんてないんですよね。
あれだけ重かった喘息が、薬が不要となるまでになったのはとても喜ぶべきこと。
それが一般の人より数値が劣るからってがっかりする必要もないんです。
また、ゆっくり標準に近づけばいいんですから。
子供も自分も、そして生きている人みんなが唯一の存在。
そりゃ、誰だって、ある部分では人より優れているし、ある部分では人より劣っている。
劣っているからといって、劣等感を抱く必要もないのに、いつの間にか劣等感を持っている自分がいるんですよね。
不登校もまさにそうですね。
学校に行くのが普通、当たり前という認識がありますから、そことの比較で『できない自分』を感じてしまいます。
不登校の親子は何度もぶつかる壁です。
この壁、きついです親子で苦しむ壁です。
でも、敢えて言うなら、
人の価値って学校だけで測られるものでは決してないはずで、私がこの壁にぶつかる度に自分に言い聞かせてきたのは、
学校だけで人の価値が決まるわけじゃない。大切なのは、人生を通して創っていく人としての在り方
ということでした。
強引でしょ?
こうでもしないと自分の気持ちを引き上げられなかったのです。
息子は学校には行っていませんよ。
でも、親ばか承知で話せば、人の気持ちがわかる優しい子。
人の気持ちを察して、人が気を遣うであろうことを言わないし、しないし、中学ではオール1の評価を頂きましたけど(笑)←本人は全く気にせず、むしろドヤ顔^^
知力は決して劣っていることはなく、正直、私が真剣にアドバイスを求めることも多くなってます。
そういう部分部分においては、息子は対等以上の存在で、頼もしくもあり、手のかかる子供ではないんですよね。
不登校の親子は劣等感を感じやすい。
実際、私が何度も何度もぶつかりました。
でも、本来優越感も劣等感も表裏一体。
誰でも、優れているところもあれば、劣っているところがある、ということに立ち返るべきです。
それを含めて、それが息子でもあり、私でもあるし、勿論、あなたでもあると気付くことが大切です。
ちょっと壁にぶつかって、苦しくなったときに思い出していただければと思います。