昨日、息子は大学終了後、カウンセリングに行ってきました。
合格後は初めてのカウンセリングですね。
電話で合格報告はしてたんですけど、入学後は息子が余裕のない生活でしたし、やっと昨日時間を取って行ってきましたよ。
なので、昨日はカウンセリングというよりかは雑談。
先生は終始ニコニコ顔。しかも饒舌。
「良かった^^良かった^^」と本当に喜んでくれて、お祝いにケーキもごちそうしてくれたそうです。
思えば、初めてカウンセリングに行ったのが、中学1年生の時でした。
今の私なら余裕を持って息子を見れますけど、当時の私は必死です。
中学の間に生活を戻しておかないと、将来大変なことになる!と勝手に焦り、どうにかして通えるようにしないと、と思っていました。
ドクターはそんな私達親子の様子を一瞬で察したんでしょうね。
今でも最初に言われた言葉を覚えています。
「〇〇君、先生は学校に行け!なんて言わないから安心してね^^」
息子に手を伸ばして、笑顔を見せながら言ってくれました。
昨日のドクターの話だと、カウンセリングに通い始めたときの息子は、相当精神状態がヤバかったとのこと。
息子が通っているクリニックは保険外治療で、90分間時間をかけて対話を重ねるんですけど、普通に保険治療の心療内科に行っていたら、薬を出されているレベルだったよ、と話されたそうです。
その話を聞いて、私はゾッとしました・・・。血の気がひきましたね。
そして、少し落ち着いてから、今の大学生の息子から、高校生の息子へ、そして、中学生の息子へと私の記憶を辿るということをしていたのです。
小学校のうちは、まだ無邪気さもあって笑顔がありましたけど、確かに、中学に入った途端、笑顔も言葉も少なくなっていましたよね。
私も当時は不登校に対する理解はありませんでしたし、主人は「触るな!危険!」状態。
学校でも1年生の担任は不登校の生徒を持ったことのないと思われる先生で、息子は一人ぼっちの感覚だったのかもしれません。
安心できる場であるはずの家には私がいます。
不登校に悩む母親というより、学校に行かないことにいら立っている母親でしたから、その空気は息子にも伝わりますよね。
心休まる場がなかったと今では思っています(反省)。
母親の気持ちも一夜にして変わるというものではないので、どんなきっかけで、私の心が変化していったかは今の私には説明できません。ただ、徐々に、徐々に、受け入れていけたように思います。
うーん、私の態度がブレブレで息子を惑わせたかなぁ?
その対応、先生としてどうなの?と思えたりすると、「そんなところに行かなくてもいい!」とむきになるところもありましたし、息子の心に寄り添ってくれる先生だと「行ってみたら?」と提案したりね、息子はあっちこっちと揺れ動く私の態度に「???」だったかもしれませんね。
今だったらですね、先生の対応には流されず「息子の意志」を尊重します。
書きながら見えてきましたけど、結局は周囲の状況に揺れ動く自分から、息子を「観る」ことにシフトできたということかな。
息子を客観的に観ること、それができるようになってきたということかな。
息子にとって、これは望ましいか?息子の可能性を広げるか?そういう見方ですね。
ただ、意志を尊重するとは言っても、息子が背中を押して欲しい時というのもあって、そこの見極めが私には難しかった。
私は鈍感なので、この辺が苦手なんですよね。
人の心を察することに長けている息子とは大違いなところでもあります。
自分の感情ではなく「子どもを観る」
これが私の変化のきっかけだったのかなと今日は思っているところです。