子供に何を残して行くか?
このことは以前から漠然と考えていたことではあったのですが、この考え方にもかなり変化が生じてきました。
初めは、息子が病弱だったこともあり、生活に困らない金銭と金銭的な仕組みを残していこう、そう思っていたのです。
でも、今は違います。
金銭や物もあるに越したことはありません。
ただ、これらを自分で持つ時までに、きちんと扱える人間的器になっていないと維持していくことはできないし、減らすことはあっても増やすことは難しい。
これは、身内の中でも実際に会ったことで、私は現に見てきました。
金銭的、物質的なものから得られる幸せは、その瞬間、瞬間だったりでどちらかというと一時的なもの。
恐ろしいのは、無くなってから、どうしてもっと残してくれなかったの?という気持ちが出てきはしないかということで、親が残してくれた物質的なものを軽んじてしまう人がいるのも事実なのです。
欲が相続問題に発展し、親の思いはかき消されてしまいます。
遺産はもっと重いもの、私はそう思います。
このようなケースを見て来たからなのか、何かを残すというのは『心に残るもの』いつしか、私はそう思うようになりました。
あなたの心に残るものって何でしょうか?
私が自分にこの問いを向けるなら、少なくとも、金銭や物質ではないものを答えると思います。
私の両親が何を残してくれたか?
決して、金銭や物質ではなくて『親の背中』なんですよね。
決して、いい背中ばかりではありません。親だって完璧だったわけではないし、今の私のように、悩みながら親をしてきたのですから。
親に限らず、亡くなった人を偲ぶとき、私が思い出すのはその人の人柄なのです。
私にとっては、これが心に残るもの。
親が自分にしてくれただけなら、自分だけの感謝で終わってしまいますが、多くの人に『素敵な方だった・・・』と言われることは、子供としては嬉しいし、誇りでもあります。
多くの人に手を差し伸べて、笑わせて、喜びを与えて、感動を与えて、影響を与えて、その姿が心に残るから、これが残していくものかな?
これは私の思うことであって、残していくものも人によって様々でいいんですよ。
私が残していきたいのは、少しのお金といろんな知識や知恵、そして、1番は私の生き方かな。
情けない姿も反面教師で残していきます(笑)
この不登校という時期をどう乗り切るのか、親として、人として、どう生きるのか、今の自分の生き方のようでもあって、子供にも残していく生き方でもあるんだよなぁって、こんな考えも持つようになってきましたね。
そう思うと、不登校は大変だけど、子供に残すものも多い人生になるのかなと思います。