昨日は帰省した友達とランチに行ってきました。
高校時代のハンド部のメンバーなので、私にとっては気楽な仲間ではあります。ではあるんだけど、今回が一番私らしく言いたいことを話せたかな、なんて思うんですよね。
今までの私はどこかやっぱりひねくれていて、友達の子供の話や学校の話を聞きたくなかった。
自分自身が自然でなかったな・・と考えていましたよ。
卑屈な自分であるから、言いたいことも飲み込んでしまうところがあったしね。これは私だけではなく、不登校の子供を持つ母親がみんな経験していることだと思います。
友達からしたら付き合いづらい友人だったかなぁ、本当は手を差し伸べてくれていたのに私が頑なだったかなぁ、と今反省を含めながら思っています(笑)
息子が今年大学に入って、不登校の世界からやっと外に出れて、ようやく堂々と歩けます!
こんな感じなんですよね。
これは、大学でなくても全然OK。私にとってはフリーターでもニートでも違うステージです。
今の私は今までで一番自分らしさが出ているような気がします。そこには自分の強いアクも出ていることを意味するけど、それが「らしさ」ですよね?
誰に何を言われても嫌なものは嫌で好きになれないものはあるし、無理に嫌なことを頑張らなくてもいいや~な気持ちになってきています。
不登校と関係がありませんが、昨日ランチした友達たちもそれぞれに抱えているものはあるんですよね。
話を聞くと、自分の両親の介護だったり、義両親との距離感だったり、不満や不公平感を感じながら、それでも我慢して、自分で良い解釈をして毎日をやり過ごしている。
我慢、頑張りすぎ・・・これらが友達らしさを奪い、疲れを生じさせている。それが私には見えました。
そして一方では、ハッキリ言いたいことを言える友人もいまして、こちらはスッキリ生きています(笑)
彼女は長男の嫁で義両親の隣の家に住んでいるんですけど、最初が肝心と、自分のできないことや嫌なことは、笑顔で「それはお母さんがお願いします(^^♪」とか、「同居はできません」と伝えていたんですね。
気を遣って、良い嫁を演じていた私や私の友人達は、
「そんな風に言えるなんてすごいね!!」なんて言っていたんですけど、今の私はハッキリと、それが正解だよ♪と言えますよ。
相手に嫌な思いをさせないように・・・
この思いはとても大切なもので、この気持ちを持って相手を理解することは必要ですね。
ただ、ただ、です。
相手を傷つけてはいないけど、自分はどうでしょう?
自分を傷つけてまで我慢を強いていませんか?
私はずーっと自分が我慢すればまーるくおさまると思ってきました。でも、違いました。自分だって一人の人間であって相手同様に人格があります。
私達は人の我慢は見えるし、その人の我慢が見えれば、「頑張りすぎていない?無理していない?」と思うことはできるのに、自分のことを同じようには見ないんですよ・・・。結果、我慢を重ねてしまうんですよね。
他の人からみたら我慢は明らかなのに、です。
人を傷つけていけないには自分も含まれます。
これは私が長年抜け落ちていたところです。
あなたは大丈夫でしょうか???
我慢しすぎていませんか???