不登校も人間関係も恋愛関係もお互いに気持ちが合っていないと苦しみが生じます。
不登校は親子の関係で人間関係だから、全ては人間関係の苦しみが大きいということかな?
不登校と言われる子供はまだ未成年ですし、親の保護が必要という点ではちょっと異なるところはありますね。
うまくいかない人間関係に悩んだ時、あなたはどのように対処してきたのでしょうか?
恋愛関係であれば別れるという選択肢もあるし、夫婦関係も離婚という選択肢があります。友達関係においても、離れるという選択肢やちょっと距離をおこうという選択肢もあります。
お互いの波長が合わなくなるのは、これも生きていく上では普通にあること。
苦しみながら共にいるのを好む人もいれば、今は住む世界がちょっと変わったのかな?と距離を置く人もいますよね。
私は少し離れることを望むタイプです。
これは自分自身を防御している、とも言えるのかなと思います。
でも、この時はそう思っても、数年後にハッと相手の気持ちを理解できることもあって、また付き合えるということも私にはありました。
親との関係も、数年も会っていないという人もいます。
私はそれでも良いと思っているんですよ。会ってお互い嫌な思いをする位なら、離れてお互いを思う方が良いですから。
嫌いだ、合わない、と言ったって親子。他の人間関係とはそれは違う。
親の死に直面すれば、少なからず溢れ出る感情は誰でもあると思いますからね。
主張を持つというのは、人として当然のものなんですけど、ぶつかり合うとどうしてこんなに苦しいんでしょうね。
お互いに分かってもらおうとより力が入ってしまうからなのか、わかってもらおうとする行為が自分の主張譲らないという姿に見えてしまうのか、さらに溝を深めてしまうこともあります。
自分の主張をぶつける。
相手の主張で返される。
この繰り返しは、その都度お互いに苦しみを生じさせ、大きくもさせてしまいます。
不登校は親子が共に生活する中での人間関係です。お互いの態度、言動が全てが目に入ります。
親は良くなるように努力しながらも、苦しい毎日です。
子供も苦しみを抱えています。
苦しいというのは、サイン。何かが間違っているよ、というサインです。
不登校に限らず、他のことで苦しさを感じる時もそうですね。
そして、やり方を変えたり、考え方を変えたり、失敗を重ねながら変化していきます。
苦しみを抱えたまま同じ道を突っ走っても、その先にあるのは、苦しみを抱えたゴール。
あなたはその道を走っていないか、ちょっと考えてみてください。