最近メールでいただくことが多いのは、時期的なこともあり、進学に間することがとても多いですね。
今日は、改めて息子の高校受験について書いてみたいと思います。
学校嫌いの息子が一番嫌いだったのは、間違いなく中学校だったと言えるでしょう!
中学生の時が一番辛い時期だったと思います。
学校が嫌いというよりかは、先生の対応が嫌いだったのでしょうね。
私もかなりイラっとすることも多かったし、怒りを感じたこともあったので、これはわかります。
残念なことに、主人は育児、教育は私に丸投げでしたので、この感覚を主人にも味わってもらえていれば、もっといい形で息子の進路を押してあげられたかなという思いがあります。
ここは反省点です。
息子も私も中学の先生とはなるべく話をしたくなかったので、進路はこちらで全て決め、学校には必要な手続きだけをお願いする、というやり方をとりました。
ですから、中学校の先生に進路の件で相談したことは一度もなかったです。
三者面談も形だけ・・な感じでした。
息子が信頼していないければ、相談も無理なんですよね。
その点で一番お世話になったのはカウンセリングドクターでしたよ。
人間関係の基本かもしれませんが、「好きな人の話なら耳に入る」ということ。
息子はこの辺は本当にわかりやすい子でした。それは今も同じです(笑)
まず、私達が動き出したのは10月です。ちょうど今くらいの時期ですね。
通信制高校、単位制高校、私立の高校でフレックス制の高校、これらの高校の合同説明会に息子と私の2人で行きました。これが10月の中旬です。
今、思えば息子は嫌がることもなく、むしろ真剣で、この合同説明会では上記の3校の先生と対面で話をしました。
実際に話をするというのは、とても大事ですね。
説明にきている方がどのような方なのかはその高校によって違うのでしょうが、私達はその方の人柄で高校を判断しますから。
というか、私の場合はそれが全てです。
息子は私以上に敏感に感じ取っていたと思います。
まず、単位制高校の対応は問題はなかったのですが、息子の思い描いてイメージとはかけ離れていたようで、「ここはいいや・・」となりました。
そして、私立のフレックス制の高校ですが、この先生のところには安心して通わせられないな・・と私が感じましたし、おそらく息子も同じ印象を受けたかなと思います。
ここは、即却下です。
そして、最後に聞いたのが、最終的に進学した通信制高校です。
地元のキャンパス長(キャンパス長とはいっても30代の若い先生です)が来てまして、不安がる息子の心を安心させるように、話しかけ、盛り上げ、そして、話を引き出していました。
不登校の生徒をたくさん抱えているからその対処も慣れていましたし、先生方はみんな心理系のカウンセラーの資格も持っていましたね。
学校のカラーもキャンパス長の影響が大きいと考えていた私は、この先生の学校なら大丈夫かも・・という収穫を持って帰宅しました。
合同説明会はこんな感じです。
そして、この時点でほぼ通信制高校1校に絞った形になりました。
あとは、実際の高校見学ですね。
高校とはいっても、通信制のサポートスクールですから校舎があるわけではなく、ビルのワンフロアを借りています。
もしかしたら、これでは学校ではない!と嫌がる方もいると思いますが、息子はむしろ、学校らしくないその雰囲気が良かったようです。
学園祭を兼ねたオープンキャンパスに参加して、学校の雰囲気、先生方の雰囲気、それから在校生の雰囲気を味わったのが、11月中旬のことです。
親の私が見ても、笑いが耐えなくて明るい学校で、先生と生徒の距離がとても近いし、本当に不登校なの?というくらいに生徒さんさたちもお世話をしてくれたり、とてもしっかりしていましたよ。
学校の雰囲気もよく、キャンパス長もいつもニコニコして、生徒が話しかけやすい雰囲気を作っていましたね。
私達の心はこれで、ほとんどこれで決まりです!
私もここなら息子も通いやすいだろうと思えたし、ここの先生なら息子のような子でも安心して通わせられると思いました。
まとめると、
- 10月中旬に高校の合同説明会に参加
- 11月中旬に学園祭を兼ねたオープンキャンパスに参加して学校の雰囲気を確かめる
- その後、この通信制高校に進学することを決め、中学校に受験手続のお願いをする
- 12月中旬に、作文と面接の試験を受け、その1週間後くらいに合格が決まる
こんな流れです。
冬休み前には進路が決まっていたので、中学校との接触も少なくなるし、いろんな意味でホッとしたことを覚えています。
私達が息子の進学先を決めた理由、「決め手」は「人」だったとハッキリと伝えることができます。
学校のブランドなんて一切いりません。
息子がそこで頑張れるというのなら、息子の笑顔が見られるのなら、それでいいんです。
親バカだけれど、他の子に知力が劣っているとは思えなかったし、道さえ見つかれば必ず人並みにはやっていける!という、私には根拠のない自信があったんですよね。
大切なのは、息子がやれる環境作り!と考えていました。
ま、主人はいい顔せずに、夫婦仲は最悪の3年間になるのですが、長くなったので、この話は次回にします。