人にとっての価値って本当に違うんだろうな・・・
昨日、不要品を売りに行ったときに思ったことです。
自分では相当な値段がつくと思っていたものが、それほどでもなかったり、反対に、
『えっ、これがそんな価格がつくの?』
と思うものがあったり。
価値観は人によって違いますから、例え絶版本で価格0円という評価がついたとしても、それを探し求めている人にとっては、価格は関係なく、定価以上でも購入するでしょう。
ある人・・・・・0円
欲しい人・・・定価以上
価値は価格では測れるものではなくて、その人自身が決めるものです。
育児も親が何を重視するかで、まるっきり異なってきて、
生活態度を重視し、しつけを厳しくする人
子供に知識をつけさせようと勉強に力を入れる人
とにかく健康で、けがなくとおおらかに育てる人
スポーツの英才教育を幼少時からする人etc
挙げだしたらきりがないですね。
その人が持つ育児の価値観で子育てをしているのですから、それは他人にとって重要とは思えない、ということが普通にあります。
なかなか、人の価値の置いているものを理解できなくて、そこでぶつかったりもするんですよね。
このあたりがママ友との付き合いの難しさでもあって、受け入れがたくなり、
断捨離・・・
ということになるのかな?
同じような考えや価値観を持っている人といれば、確かに楽ですよね。
ただし、楽ではあるけど、自分の価値観のみしか見えなくなって、他を知ろうともせず、固執してしまう可能性もあります。
自分が咄嗟に反論したくなるような、イラッとする、衝撃的な価値観に出会うと、心は波を打って大変なことになります。
『やだ、この人。あまり近寄らないでおこう。』
私はそう思うタイプです。
でも、心ではずっと気になっています・・・
こんなことを繰り返してきました。
人を嫌いでいることも、心的には辛く重いことで、離れることは一時的な応急処置に過ぎないと思っているんですよ。
また会って嫌な思いをすれば、再発します。そして、再度応急処置を施す繰り返しです。
完全治癒すれば心が軽くなるのはわかっているんですけど、これが難しい。
だから、人は人間関係で育てられるんですね。
完全治癒を目指すには、いろんな価値観を知って、それを大切にしている人がいるということをたくさん知ること。
たくさん知れば知るほど、自分の価値観が唯一のものでないことがわかるし、絶対ということはありえない、ということにも気付けますから。
様々な価値観に出会って、価値観の相対化ができていけば、自分の価値観も相手の価値観も大切に思えるのではないでしょうか?
知らないと抵抗も多いですけど、多くのケースを見ることで、そして、繰り返し見ることで、その価値観も数あるものの一つに感じられるようになるのかな、が最近の思い。
不登校もまだまだ受け入れられない方が多いですね。
でも、それは情報不足もあって、古い先入観での判断だったりによることも多いと思うんです。
私のすることなんて小さいものですけど、不登校のお母さんの心だけではなく、普通の人がどこかで目にして、見方が変わってくれたら嬉しいな、と思ってます。
それがね、不登校の子供たちが隠れることなく、笑顔で過ごせることの一つとも思っているので。
不登校を価値と言えるかどうかはわかりませんけど、不登校に実際向き合ってる私達がどんな思いでいるのか、それを知ろうという方が増えて、お子さんとお母さんがもう少し楽に過ごせる環境になったら嬉しい。
そんな日を作りたいですね。