昨日は息子のカテキョー日でした。
カテキョーくんとの付き合いは4年目になるけど、もしかしたら、今日初めて気付いたことがあったかもしれない。
それは、カテキョーくんの声。
言いたいことは、カテキョーくんの声は教えるのに適した声だな、ということ。
何も勉強を教えるだけが教えるということではないですよ。
仕事を教える、知っていることを教える、そういったことも含めます。
聴きやすいさ、
声の張り、
声の質、
リズム
いろいろ要素はあって、これも人によって受け入れやすい、受け入れにくいはあるとは思いますけど、教えることを仕事にしているならば、特に、これらの要素で聴く相手に与える印象はかなり違うかな、と。
学校の先生は、教室で30人くらいの生徒に話しますから、必然的に声は大きくなりますよね。
わたしの友人の旦那さんで教師をしている人がいるんですけど、家で話す声がデカイ、うるさいって言います。
実は、そういう奥さんも声がデカい笑
つられて大きくなるのかな?
声は出しなれていないと出ないものです。
私も学生時代にアルバイトで接客業をしていたことがありましたけど、「声が小さい!」と言われました。
最初は恥ずかしさもあってね、なかなか大きい声が出せなかった記憶があります。
でも、周りみんなが大きな声を出していると、確かにつられるし、出しているうちにそれが普通になるんですね。
要するに、慣れでしかないってことです。
大きな声と笑顔、接客には必要でしたね。
卒業してからは、デスクワーク中心だったし、大きな声で話す機会もそんなになくて、また元の私に戻って行きましたけど、「声」も自分のイメージを作るためには、素晴らしい要素になるなぁと今日改めて思ったのです。
そして、その声に相手がつられるのなら、子供もそうなるかなって(反面教師で逆パターンも大いにあり。←私はこのタイプf^_^;)。
自分に自信がある人は、はっきりした口調で話しますよね。
決して、目を逸らしたり、言い淀んだりはしません。
昨日の記事でも書きましたが、不登校の母親は家で子供と接する時間が長いです。
そして、そこには、言葉だけではない氣の循環もあって、それとなくお互い察して過ごしていますよね?
氣の循環と言っても、そんな難しいことではなく、「機嫌が悪そうだから、触らないでおこう・・」とか、そういう感じる空気ですね。
自分の状態は、良くも悪くも子供に伝わります。
自分がイライラしている時、言葉で子供にぶつけなくても、その雰囲気で十分伝わってしまいます。
こうして考えると、親子で過ごす日中の空間は、お互いの氣の与え合いで作られた空間と言えます。
これは普通は無意識で行ってしまっていることだけど、ここに「声」を意識的に使ったらいいのでは?と、カテキョーくんの声を聞いて思ったのです。
私が聴いているカテキョーくんの声は、自信に満ちているように聴こえます。
つまり、私がそういった自信に満ちた声を演出することで、私と息子の間に新しい氣を起こし、自信を持つ私であり、自信を持つ息子をつくれるか?
これをテストしてみようかな、と。
あ、勘違いしてほしくないのですが、自分のすべてにおいて自信を持つということではないですよ。
自分の得意とすることや自分のある一部分だけで十分だと思います。
ジャンルが変われば、先生と生徒の関係はすぐに逆転しますし、わからないことはわかる人から素直に学べばいいだけなので。
私もね、ちょっとそこの意識が今まで薄かったなぁと感じると同時に、今日から少しずつ声のボリュームをあげることを日常に入れようかな、と思いました。
来年度の目標ではないですけど、声による演出テストをしてみます笑