息子は高校三年生。
誕生日が6月なので、選挙の投票権が来ていました。
選挙権年齢が18歳以上になって初の選挙ですよね。
息子の成長を心に残す意味も込めて、一緒に投票に行ってきましたよ^^
子供の成長は本当に早いです。
いつの間にか私の身長を追い越し、声変わりをし、今はあごひげまで生えています。
身体は成長しても心が・・・
と思うこともないとは言えませんが、それは私も一緒。
私達人間は死ぬまで成長なんですよね。
息子も私も確実に成長しています。
自分の思う通りには育ってくれなかった息子。
これは息子だけに限らず、人間関係全てにおいてのキモとも言えますが、自分が正しいと思い込み、それを人にも押し付けてしまうことがある。
自分が間違っていると思っても、相手にとってはそうでないこともある。
こんなことがあるものです。
私自身、基準がわからなくなって混乱したこともありました。
でも確実にあるのは、自分の正しさを主張し相手に強要しすぎると、確実に相手の心の抵抗が生まれるということ。
これをわかっていながら、人は同じことを繰り返してしまいます。
子供だって一人格を持った人間。血を分けた子供であってもです。
親からの子供への教育って、何が正しくて何が正しくないか、何を大切にするか、本当にいろいろです。
自分と違うな・・と思っても、それが悪いわけでもないんですよね。その家庭の教育がそれでいいならOKなんです。
そういう考え方もあるんだなと捉えればいいだけの話。
私は自分の考えが強すぎました。それで苦しんでました。
それを教えてくれたのが息子の不登校だったのです。
ですから、自分自身の捉え方が本当の意味で変わったときに、視界が変わるって実感しています。
でも、それは苦しい段階を何度も経て、同じ思いも何度も繰り返して、たどり着くんですよね。
私は中学までが本当に苦しかったです。
子供の気持ちを尊重する姿勢をとりつつもやっぱり他の子と比較する自分が出てきてしまっていましたから。
昨日の記事でも書いたように、
『私は人と違うことが怖かった』
息子の心配をしているようで、実は私が息子に人と同じことをして欲しい、心の深いところでは安心感が欲しかったんだと、素直に白状します。
でもですね、息子が復学していたら、『あ~良かった・・・』と安心し、そこで終わっていたかもしれない。
いや、私の性格ならきっとそうでしょう。
私はそこで止まってはいけなかったんです。
もっと深く知る必要があって、そういう経験が私には必要だった・・・と今は思えていて、『気付けて本当に良かった・・・』って思っています。
息子が普通に登校していたら、私は不登校で悩む親子のことをどう思っていたのかな?
そう思うと、自分が取ってたであろう嫌な自分が見えてくるんです。今の私なら、絶対にそんなことはしないというようなことです。
まだまだ不安の闇に入ってしまう自分も存在しますが、深みにはまる前に、だんだんと自分で自分をコントロールできるようになってきました。
不安や落ち込みがちな時は、明るい人、笑わせてくれる人、心が軽くなることを言ってくれる人、『あなたの心を楽しくさせてくれる人』に引っ張ってもらうのが早いかもしれません。
落ち込みが激しくなると、人に会うことも避けたくなってしまうので、その前に・・・です。
私自身が理解者がなかなかいなくて今まで過ごしてきてしまったので、ブログでは言葉だけになってしまいますけど、
明るく希望が持てる言葉
心が軽くなる言葉
私も頑張ってみようと思ってもらえる言葉
を届けることができたらって思っています^^