この時期は、学校によっては修学旅行があったり、運動会があったり、はたまた秋休みを利用して旅行をしたり、いろんな行事があるようですね。
何かと忙しい時期とも言えるでしょう。
先日、修学旅行に行かない・・・と訴えていた友達の子供も、なんとか行ってきて、無事帰宅したそうです。
周囲のどんな働きかけがあったかは聞いてはいないのでわからないのですが、おそらく母親、先生の何かしらの声がけがあったと思っています。
そして、その声がけも「その子に適した」もので、その子が「行きたくなる」ものだったのではないかな、と想像しています。
その経緯はあとで聞いてみますね。
不登校の子供の対応は慣れないと難しいです。
ストレートな言葉で動かないことがほとんどですからね。
親も慣れていないから、直球を投げ込んで、子供の抵抗にあい、苛立ちや悲しさを感じてしまうことも数知れずで。
そこから母親自身が気づいていければ、子供への対応が変わることで子供も心を開いて話してくれるようになるけれど、我が子が可愛いですからね、この近い距離が見えづらくさせていることもあるんですよね。
私の場合は、これが大きかったですし、これは今でもまだまだ感じています。
でも、できるようになるのは、時間はかかっても可能と私は思っています。
天気や気温が毎日変化があるように、人も変化するし、変化のない生活というのは、とても苦痛ですよね。
日常を無意識で流していると意外と気づきにくいことでもあるとは思うんですけど、つまらない、時間が遅い、そんな感覚になるものです。
わかりやすいのは入院かもしれませんね。
経験のある方なら、一日の時間がものすごーく長いのを感じていると思います。
早く退院したい!と誰もが望むでしょう。
だから、家にいる子供も本当は「変化が欲しい」と心では思っていて、子供が無意識で待っている声がけというか、子供が動きたくなる声がけって、必ずあるとも思っているんですね。
人は人によって影響を受け、人は人に影響を与えることができます。
子供が動くようになるのに必要なのは、人の力によることは間違いないと私は思っています。
強要は禁物ですが、繰り返しは必要ですね。あとは待つ忍耐かな?
それから、子供が一瞬でも、目を輝かせる瞬間というか、今背中を押したら動くだろうという瞬間というのがあるはずなので、ちゃんと見ることですよね。
最終的に行き着くところは、100%子供に焦点を合わせるというところ。
ここに、自分の感情が入ってしまうと、子供ではなく自分を見てしまうので、子供の心が動いた瞬間も気づけなくなってしまう。
私の場合は、我が子にこれをするのが難しかったので、カテキョーくんやカウンセリングドクター、友人のボウリングの監督さんらが担ってくれていました。
息子の動きたい方向を探す手伝いをしてくれて、背中を押し、その道を開いてくれました。
でも、我が子だからこそよく見える方というのもいると思うんですよね。
先にあげた修学旅行に行きたくないといっていた子の母親は、こちらのタイプかなと思っています。
あなたがどちらのタイプかはわかりませんが、子供に影響を与えてくれる方はきっといます。
母親であれ、支えてくれる周囲の人であれ、きっとです。
自分よりいかに相手の立場に立って考えることが大切か、このことを思い知らされますね^^;