昨日は久しぶりに友達から元気なLINEが届き、ちょっと嬉しくなりました。
友達のお子さんは引きこもり体質。全日制高校は出席日数ギリギリで卒業し、その後専門学校へ進学。今年の春から実家から約600km離れたところに就職し、一人暮らしを始めました。
働き始めて3ヶ月。
とても忙しい業界らしく、土日も休みなく、深夜の3時頃までは仕事をしているそう。朝は10時頃まで寝てる、というので勤務時間は割と自由なのかな?
ちゃんと働けるか心配していたお母さんですが、今は体を壊さないか心配なようです。
ひとつ心配を乗り越えると次の心配がやってくる・・・
これも母親なら一生お付き合いしていくんでしょうね。
お母さんの心配はわかりますが、ちゃんと仕事をこなしているということに私は希望を見出していました。
私の次なる関門は、息子が働いていけるか・・・ですから。
我が家の大学進学は、将来を考える時間、そして成長を待つ時間、そういった意味も込めての選択があったので、大学入学で安心しているわけではないんですよね。
普通の人でさえ、通勤前の朝は気が重いことがあります。
不登校を経験した子、引きこもりを経験した子は、どうやって乗り越えているんだろうって考えていました。
心の中で変化があったのか?
お金を頂いて仕事をしているという責任が芽生えたのか?
それとも、学校の環境とはまるっきり別でその子に合っていたということか?
息子の場合は、まだ現実感が伴わずイメージがつきません。これが3年生、4年生になったらちょっとは見えてくるのかもしれませんけど。
今は、頭の片隅の置きつつ、現時点での生活を重視して、学んで、活かして、将来につながるようにすることが大事なのかな。
7つの習慣のコヴィー博士は、全てのものは2度作られると言いました。
最初にあるのが知的創造でいわゆるイメージですね。そしてその次が物的創造。イメージしたものが物質化します。
つまり、イメージがあって具現化するということ。
ただ、このイメージもあまりにかけ離れていて臨場感を感じられないと実現しないというのがあって、面白い法則だなぁと思わされます。
ちょっと手を伸ばせば届きそうなものは、イメージもリアルですし、実現も「できるだろうな・・」な感覚ですし。
と、今書いていて思いましたが、これは私がイメージするのではなく、息子がイメージすることか(笑)
もしかしたら、息子の中ではもっといろんな断片が散りばめられていて、ある程度はイメージできているのかな?
「息子よ、こうなれ!」とイメージしたところで、息子が動かないことには変わらないわけで、これはイメージではなくて、願いであって、祈りですよね(;´∀`)
息子を変えることはできないけれど、自分自身の改善はできるもの。
自分がどんな母親で在りたいか、どんな人でいたいか、それをイメージすることはとても大切で、そのイメージが自分に浸透していくほどに行動もそれにふさわしくなっていきます。
その自分自身の変化によって、息子であり、相手の方に影響を与えていくことができる。
ちょっと遠回りに見えるけれど、最も近道なのがなりたい自分をイメージしてみることなのかもしれません。
なので、私がするのは自分のイメージ。
ただね、頭で考える癖が抜けきらず、こうした五感を利用するものがものすごく下手くそです(笑)