先日ブログを見てまわっていた時のこと。
不登校とは一切関係なくても、目に入る記事というのはありますよね。
私は、気になったものは無視せず、そこにある考えを不登校に生かせるか?と考えるようにしています。
物事というのは、決して単体で存在しているのではなく、全てはつながっていますからね。
違う分野だからこそ、ヒントになることも多いのです。
ドライブスルーは銀行の窓口からヒントを得た、というのはご存知でしょうか?
先日はテレビで、ドライブスルー型葬儀システムというものを見ました。
車に乗ったまま焼香するというもので正直ビックリしましたけど、どんなものが必要とされ、どんなサービスが増えていくのかはわからないのです。
ちょっと礼儀を欠くのでは・・・
というのは思い込みの一つなのかもしれなくて、そこを壊して、真逆を突いていく柔軟性がヒントを生み出す秘訣なんでしょうね。
ただし、私はあくまで楽しく発想するようにはしています。
苦しみの中からは苦しいアイディアが、楽しみの中からは楽しいアイディアが生まれるって言いますからね。
銀行とビジネス。
メイクとライティング
恋愛と顧客対応・・etc
枠にとらわれなければ、何でもありだと思っています。
楽しく、楽しく^^
ということで、
今回目にとまった記事というのが、父親がゲイで母親がレズビアンのカップル、体外受精で生まれたというスーパーモデルの話です。
彼女はデンマーク出身のジョセフィーヌ・スクリバー。
両親に愛されて育った彼女は、誇りを持って自分が成長したから、大きくなるまで普通とは違うと感じさせられたことはなかったと言います。
そして、モデルとして活躍するようになって、世界の他の場所ではそれが受け入れられず、不自然な形で生まれたとか、人工物のように言われるということに気付いたそうです。
でも、彼女はこう言います。
『私は人工的な子供じゃない。私はあなた達と同じ本物の人間。』
『普通の人として見てくれたら嬉しい。同じ人間として見てくれたら嬉しい』と。
特殊な環境で生まれたことを包み隠さず公言し、
『私の家庭は、普通の家庭と何ら変わらない。私にとっての家族とは、愛によって結ばれた共同体。愛が家族を作る』
このように語るのです。
そして、現在、性的少数者の家族を理解や保護を目的とした活動もしています。
自らがカミングアウトする人は多い。しかし、両親が性的少数者であることを公言し、自らが保護を目的とする活動をするのは、それこそ少数派ではないでしょうか?
彼女に、このような活動をする気持ちを起こさせたのは、両親の愛に他ならないと私は思いました。
自分自身に誇りが持てるのも、自分を信じ、応援してくれた親の愛があったから。
愛されて育った子供は、どこか自信に満ち、堂々としています。
どんな自分でも親は応援してくれる、信じてくれる、心からそう思える見えない居場所があるからです。
親も嬉しいでしょうね。
もしかしたら、この子は将来いじめに会うかもしれない、と思うこともあったでしょう。
性的少数者であっても、一人の女性。
子供が欲しい、という気持ちは自然なことです。
彼女の両親はどのように彼女を育てたのでしょう?
素敵な子供を見ると、この子のご両親はどんな育て方をしたんだろう?私はいつもそう考えてしまうのです。
両親を恥じることなく、両親の愛に応えようとする姿は、私の心に強く残りました。
こんな彼女の行動が、人を感動させないわけがありません。
彼女と彼女の両親から学べるものはたくさんあると思うのです。
性的対象が普通と違っても、そこには愛する気持ちがあるんですよね。1人の人間を愛する気持ちが。
むしろ、性的少数者の方が愛の力は強いのかもしれないとさえ思わされます。
愛し愛される親子の存在。
少数派と言われる環境であっても、しっかりと絆を作っていけば、このような親子になれるという例なのだと思います。
記事を読んで、各人が抱く感想は様々です。
私が感じた感想は、
・子供を愛すること
・子供を信じること
この2つはその子の人生の土台となる、でした。
普通と違ったっていい。目の間には愛する子供がいる。
どんな我が子でも、親の私だけは愛していく。
子供が持つ生命力を信じ、子供が持つ才能を信じ、将来は人に愛され、押し上げられる人物になるように。
無条件、無償の愛で見つめていきたいですね^^