宝くじ1000万円当選〜
なんて、私のことではないですよ。
主人は買いますけど、私は実はあまり興味がありません。
当たれば確かに嬉しいし、一時的には潤うし、外食に当てたり、ちょっと贅沢な買い物をしたり、楽しいかもしれない。
でも、継続的な収入ではなく、これは降って湧いた一時的な収入。
自分の力で生み出したお金ではないので、使ってしまえばもう入ってこないお金です。
宝くじに限らず遺産相続でもよくありますね。
遺産は重みがありますけど、助かることも多いです。
でも、使えばなくなりますし、また入ってくるということは確率的にも低いでしょう。決して、安心という状態ではないですね。
それよりも、少ないながらも継続的に入ってくる収入が、2つ、3つあった方が精神衛生上良いのではないでしょうか?
親は子供が学校に通う姿を望みます。
保健室登校でも、別室登校でも、子供が学校に行ければそれは本当に嬉しい。
これで、少しずつ通えるようになるかも・・なんて、期待をしてしまうのが親心でもあるんです。
でも、なかなかそうはならないんですよね。
私も喜んでは落ちて、を繰り返してきました。
でもね、こうも思います。
学校に行けない子が行こうとするのは、勇気も必要であり、エネルギーも人の何倍も必要。
行って疲れるのは普通のこと。
この状態での継続は、身体も精神も壊しかねないなって。
子供にとっては決して簡単なことではないんですよ。
ですから、もし、お子さんが学校に行ってみようかな、と言ってみたり、実際に行った時は舞い上がらずに、子供の勇気を称えたいです。
何かを変えようと行動するお子さんの姿は、本人にとっては挑戦でもあって、うまくいくかも、いかないかもわからない不安な状態。それでも、何かを変えようとしている立派な姿なのだと思います。
これで『あー良かった〜』と親が安心して喜ぶのは、まさに宝クジにあたった状態と思ったんですね。
親が長期的に子供に望むことは何ですか?
私は息子に、自分で望む人生を歩んで欲しい、と願っています。
自分らしく生きて、自立もし、幸せに生活してくれることを願っています。
私にとってはこれが変わらない軸。
一時的に喜んではみても、軸を忘れない、ぶらさないことが大事。
学校に行く、行かないだけでなく、その日の精神状態に変化があるのも不登校の特徴です。
お子さんのテンションが高い時、よく話してくれて機嫌が良い時、これはお子さんのどこから来たものなのか、感じ取ってみてください。
嫌々動いたけど、それをすることかできたという自信なのか、それとも体調が良いのか、友達と話やLINEをして楽しかったのか、その子なりに何かがあると思うのです。
不登校は観察すること。
想像を重ねて感じ取ってみること。
お子さんがこれだったら受け入れられるということは何なのか、
お子さんが苦手と思っていることは何なのか、
この特徴はそうそう変わるものではないと私は思っています。
お子さんの言葉にはできない奥底にあるものを知り、それをお子さんの人生に活かすことを考えてみる。
毎日共にいるのですから、いろんな観察をしてみてください。
合っていなくてもいいんです。
もしかして、こうなのかな?
ということを繰り返していると、なんとなくわかってくるところもありますから(我が家の場合はまるっきり違うことも多々ありすぎますが)
共に過ごす時間は、
この子が将来、力を伸ばせる分野はどこだろう?
この子の隠れた特性を活かせる分野は何だろう?
と観察するのも良いと思います。
分かりやすいように私が考えた例をあげますね。
・プロボウラー
・ドリラー(ボウリングのボールに穴をあける技術者)
・折り紙作家
・レザー職人
・時計修理技能士
・独創的料理研究家
・不登校専門の家庭教師
・不登校専門のカウンセラー
・深夜専門のカウンセラー
などなど。
発想はサラリーマンに縛られないでくださいね。
自分が新たな職種を創り出すくらいの方が面白いですよ^^