なんかね、今日はつぶやきに近い投稿を。
物事を覚えること、
何かを習うこと、
勉強すること、
これらには、効果的に学べる順番というものがあります。
でも、その順番が全てではないこともあるんだなぁ、と思うこともありますね。
これは何かを習う時のことを考えてみればわかりやすい。
最初はやる気に満ちた状態ですから、モチベーションは高いと思います。
でも、こうした「やるぞー!」的なものは長続きしないもの。
一方、美味しいところを最初に味見をさせて、楽しませるという方法もあります。
楽しい!は強いですよね。
楽しければ、次が楽しみになり、能動的に行動もします。
教える側は、ただ教えるのではなく、本人が一番興味を持つだろうところを想像して、提示してみるのもありなんですよね。
教育課程が決められていると、これはセオリーに反することかもしれないんですけど、楽しく、興味を持たせることができれば、本人に追究したい気持ちを引き出すことができるし、深く入りやすくさせる効果があると思います。
何を言いたいかと言うと、これが息子とカテキョーくんの勉強なんですね。
言ってしまえば、2人のやり方は型破り。
息子に普通は通用しませんから笑、カテキョー君も息子のどこに火種があるかを探して、考えながらしてくれているのだと思います。
本当はね、普通に学校で授業を受けて、その上で、この勉強をしたら理想的だったなぁと思うのです。
詰め込み教育も、私は必要と思っているんですよ。
人間の意志というのは弱いものですから、独学で結果を出せるのは、本当に意志力のある人だけ。なかなか大変なことです。
それを今、実感しているところでもあってね。
勉強もいろんなアプローチがあって、一つのやり方はだけではない、ということを知っておくことは大切なんですよ。
学校の授業は必要だけど、そこで面白く感じなくて、興味を持てなかったとしても、異なるアプローチで学ぶことで、楽しさを発見することだってあります。
だから、苦手とか嫌いとか、決めつけないことですね。
ウチの息子はほとんど学校の教育を受けていないから、詰め込み教育の威力を知りません。
必要な時に必要なモノを入れないというのは、私としてはやっぱり勿体無いと思うところもあるんでね。
一方、マジメに授業を受ける子は、先生の授業を聴いて頭に入れていきます。
必要な知識は入るけれども、これだけだと受け身の勉強です。
発想を展開するということが難しくなり、視野が狭くなる可能性があると私は思っています。
ですから、2人の掛け算がちょうどいい。
将来、息子が少し精神的にも成長して、人付き合いもできるようになったら、息子は普通に学校に通った人から学べることは多いでしょう。
反対に、普通に通えた人は息子の突飛な発想力に驚ききつつも、学べることは多いでしょう。
環境が全く違うところで育った2人。
うまく付き合えれば、お互い補完しあえるのでは・・と思うんですけど、どうでしょうか?
そんな妄想をしました。