「最初は行くのが嫌だったけど、行ってみたら結構楽しい」
これは、息子が昨日会った高校時代の友達の言葉。
すべり止めで受かった大学に抵抗を感じながらも、浪人するよりかは入ってしまった方がよい、そう決断して入学した子の言葉です。
やってみないとわからない・・・
先入観や思い込みだけで判断してはいけないということをまた促されたような気がします。
入学するか浪人するかは、18歳の子供にとってはとても大きな出来事。
私達の年代になれば一年の感覚がとても短く、出会う人も大人ばかりだし、年齢がいくつ違っても友達になれるところがあるけど、大学の場合はそうはいかないですよね。
反対に、志望した大学に合格したけど、なんか違う・・こう感じてしまうケースもあり得ます。
でも、入ったからには卒業しなきゃと違和感を抑えて頑張ってしまう。
思えば、私も特にここの大学に入りたい!という意志ではなく、限られた選択肢の中から選んだ大学でした。でも、その選択に何の疑いもなくて、こんなものと思って4年間を過ごしていたんですね。
正直、私は楽しいとは感じてはいなくて、むしろ合わないとは感じていたにも関わらず、です。
それをやり通すのが自分に課せられたこと、それしか考えがなかったんですね。
どちらのケースも自分で体験してみないとわからない。
ある意味「賭け」にも近いのかな。
あ、今回別の大学に行った友達も不登校でした。
小学校時代はどうだったのかはわからないけど、中学校は完全不登校。そして息子と同じ通信制高校に入ったのです。ただ、息子と違うところは、息子はほとんど学校には行かなかったけど、この子はほぼ毎日通っていたというところですね。
環境によるものなのか、通学はできていました。
自分の感性に合うか、合わないかは実際に体験しないとわからないということ。
合ったときはそのまま進んでいけばいい。そして、どんどん吸収していけば良いと思う。
問題は合わなかったとき。
そうなることも想定して準備をしておかないといけないんですね。
不登校と同じです。
私達は仮に子供が再登校しても「あー、解決した」と手放しでは喜ばないですよね。
また通えなくなることも想定して、子供への対応を考えているはず。これは一歩先を見ているからできることですよね。
「安心」を感じてしまうと、その「安心」が崩れた時にパニックになってしまいます。
子供が小学校に通い始めたころを思い出してください。
「不登校になる」と考えていましたか?
私は一切考えていませんでした。明るい小学校生活しか描けていませんでした(笑)
息子は今大学に通っていますけど、今では通えなくなったときの私の心構えもできているし、そうなったときにどう方向転換しようかと考えることもしています。
これは不登校だったからこそできること。
不登校はね、ちょっと一歩先を見る視点を与えてくれるものなんですよ。
あなたの自覚はないかもしれないけれど、あなたの頭の中はそれを無意識に考えています。
それを意識にあげてみてください。意識的に考えることで見えてくるのものが必ず増えてきますから。
それが今日お伝えしたいことでした。
それでは今日も良いGWをお過ごしくださいね(^_-)-☆