本日からガイダンスに行く息子は、すでに起きています。
今はゲームをしていますが、起きてからはずっと部屋の片づけをしていたそうです。
昨夜は花粉症がひどくてアレルギー薬を飲んだところ、見事に起きていられなくなり、夕食後21:00には就寝。
起きたのは2:30頃。
中学、高校時代の要らない教科書や参考書を整理して、束ねていましたよ。そうしないと、新しい教科書が入らないしね。
それと、自分の部屋にPS4とデスクトップパソコンを持っていきたいようで、そのための整理もしていたようです。
我が家は収納が少なく、部屋も5畳くらいと狭い。
何かを入れるには何かを処分しないといけないんですね。
ですから、新しい教科書を入れるためには古い参考書類の処分をしないといけないし、パソコンデスクを入れるためには収納棚を処分をしないといけない。
なんとなく、プライベート空間も新年度!な感じですね。
息子はきれい好きなのか、そうでないのかわからないところがあって、万年床でごみが散らかっているときもあれば、きれいに布団がたたまれて、部屋がきれいなときもあります。
モノに対する思いは強く、妥協せずに気に入ったものを購入するタイプ。
バックはポーターがお気に入り。ボールペンはWATERMANがお気に入り。
財布は私のおさがりなんですけど、革クリーナーで拭いたり、ファスナーを潤滑油を使って手入れしたり、丁寧に使っています。
あ、時計も私のおさがりですね^^
ポーターは社会人になっても使うと言っているし、結局は良い買い物になったかなって今では思っています。
私は育ちから、このような買い物ができずにいたんですよ。
「節約」の心を大切にする両親から「節約」を習慣で学びました。
勿論「節約」も大切ですよ。
でも、これもバランスと考え方です。
本当に欲しいものを我慢して安いものを買うよりかは、ちょっと頑張って自分が大好きなものを買ったほうが、自分の気持ちは豊かになりますね。
心から惚れ込んだものを手にすれば長く使いますし、結局はそれが節約につながります。
値段という目の前のことを見てしまうと「高い」「安い」の判断になってしまう。
でも、そこに「10年後も飽きずに使っているだろうか?」の視点をいれると、「高い」ものの方が節約になることもある。
普通で当然のことかもしれないんですけど、これも息子から習ったような気がします。
不登校問題も抽象度高く捉えることで、視野を広げる考え方ができるように思えますね。
子供が不登校になると「早く通えるように戻さないと・・・」とそこにばかり目が行きがち。
その時の自分の思考は「ただ、通えるようになれればいい」そこで止まってしまっていましたね。
息子のその後のことや将来まで見渡す余裕がありませんでした。
今の私が当時の私に
「お子さんが我慢して学校に通えたことで、プラスになったことは何かありますか?」
と聞かれたら、私はきっと絶句して気付くでしょう。
心のゆとりや喜びや豊かさというものを感じられないで、毎日同じことをこなすのはとてもしんどいです。
苦しい思い出だけが残ってしまう可能性もあります。子供から「自信」というものも削ぎ落してしまうことにもつながります。
若い頃のネガティブな思いをため込んだまま未来に進んでいく子供。
ちょっと不登校でも自分のできることを見つけて、自信を持って将来に向かっていける子供。
この違いは大きい。
息子は幸いにも、頑固を貫き通す意志の力がありましたから、学校には見向きもしませんでしたけど、もっと従順な子だったら私は息子の可能性をつぶしていたかもしれません。
だからね、変な話なんですけど、息子に限っては不登校の選択で本当に良かった・・・
母として助けられた思いもあるんですよ。
普通に通えていたら、今よりも良い高校、良い大学に行くことも可能だったかもしれないけど、息子は息子。
息子なりの可能性の伸ばし方があるんですよね^^
「今」に集中して生きることは大切だけど、「未来」をつくるのが「今」でもあります。
建設的、生産的な未来をつくるためには、今のこころも大切と思います。
そこは無視しないようにしたいですね。