今頃ですが、昨日は母の日だったんですね。
友人からのLINEで気付きました(笑)
我が家は、誕生日のイベントもないくらいに日常を過ごしているので、意識が薄いんですよね。
昨日は主人も仕事でしたし、息子も朝から出かけていたので、私は本を買ってカフェで読書していました。
私の一番好きな過ごし方ができたので、とても充実した良い日でしたよ。
あなたはどんな母の日をお過ごしでしたか?
さて、今日の本題に入ります。
私は、経験者だからこそ伝えられる思いがあると思っていて、「うん、うん、そうなんだよ」と思ってもらえることが、不登校で悩むお母さんの心に灯りをともす種になるとも考えています。
不登校だからといって避けることなく普通に付き合ってくれる方もいますが、不登校に関する悩みとなると、自分が求めるような理解にたどり着くことはまずないです。その部分は除外してお付き合いすることがほとんどでした。
伝わらない思いって、恋愛に例えれば、届かない片思いみたいなものなのかな?
心が苦しいですよね。
この感情はおそらく、不登校が改善されなければ、中学、高校と私達母親はずっと付き合うものでしょう。
学校と隔離されていれば感情は乱されることはないんですけど、それは100%できません。気にしないようにしようと思っても、学校と関わりがあるうちは他の子との比較に苦しみます。
現状では、教育とは学校に行くことですよね。
全ての子供が教育を受けるには、学校に行くのがその手段ですし、他の手段がないとは言いませんが、まだ充実しているとは言えないと思います。
増加傾向にある不登校に対して教育環境が変わることもあるかもしれないけど、それには大きな力が必要だし、私達が動かせるものでもありません。
とは言っても、子供には教育は必要ですから、子供は学校に行って学ぶべきというのは正しいとは思います。だから、私達親は学校に行かせようと頑張るんですよね。
これは普通のことですから、今まで自分がしてきたに対してご自身を責めないで欲しいです。
誰もが通る道だと思いますよ。
違いが生じてくるのは、通えなくなった後にどうするかだと思います。
頑張って登校させるよう努力するのか?
諦めて子供の意志に任せるのか?
学校に行かずともその子ができることを探してみるのか?
あなたもいろいろ試してみて、全てがダメでなるようにしかならない、と思っているかもしれません。
ここで、あなたに聞きたいことがあります。
あなたはどんな自分が好きですか?
子供を学校に通わせようと努力する自分が好きですか?
それとも、子供の心の変化を待って見守る自分が好きですか?
それとも、その子が学校に行けなくても生きていけることを一緒に考える自分が好きですか?
私は全てを実践し、自分の素直な心を感じてきました。
私が好きになれたのは、学校に行けなくても息子が生きていける手段を一緒に考える自分でした。
これが、一番私を楽にし、力を与えてくれました。
息子は学校という土俵では勝負をできなった。勝負をする以前に土俵に立つことさえできなかったのです。
でも、他の土俵には立つことができるはず。立つだけではなく、勝つこともできる何かがあるはず。
私はそう信じていて、その土俵で勝負をさせてあげたいと思いました。
学校という土俵は棄権するけど、こっちの土俵はエントリーするよってね^^
そんな分野が一つ、二つあったらいい。大人になったときに、そこで戦える自信を育ませたいと思ったんですよね。
実際、学校に行けないだけで他の子より劣っているとは思えなかったし、劣っているどころか「あんたのそういうところすごいよね」と思えるところがありましたしね。
学校に行けない時間を、学校に行かせるように費やすのでもなく、手をこまねいて見ているだけでもなく、子供が自信を持てる何かを一緒に探す自分が私は好きだったということです。
他の子との違いに苦しみつつも、息子の存在はかけがえのないものでして、息子だからできるものもきっとあるはずと信じられる自分もいたんですよね。
我が子は特別ですよね^^