以前、子育てで悩んでいた時に、江原啓之さんの本でこんな言葉を見かけ、心に残っていたことを思い出します。
人間として成長するために必要なことは、
結婚すること(親になること)、
上司になること、
経営者になることだ、と。
これらに共通することは『ままならないこと』。
斎藤一人さんは、
『結婚式の教会の鐘が試合開始のゴング』
であって、結婚は最高の修行と言っています。
うん、その通り・・・
自分の思う通りにはならないです。
強引に自分の思うとおりにしようとすれば、そこに摩擦が起き、抵抗や反発から喧嘩になります。
それぞれが違う考え方や主張、譲れない信念、その人の正しさがあるんですよね。
そこを捻じ曲げて、自分の思うとおりに動かそうとするから、うまくもいかないし、仲も険悪になってしまいます。
これを繰り返して、自分の思う通りには行かないと気付いた時に、成長が始まるんでしょうね。
私は20代で結婚しましたが、修行だなんて考えもしませんでした。
むしろウキウキでお花畑状態^^
若さに任せた勢いも確かにありましたし、周りが次々結婚して、そろそろ私もという、軽いノリみたいなのもありました。
でも、これも若さという特権。
私はそれでもいいと思っていますよ。
歳をとるごとに、人は人生に慎重になるものです。
今の私が独身で結婚を考えるなら、相当慎重になり20代の勢いはありませんからね。
結婚して、息子が生まれて、本当にままならないことを勉強しました。
これは、きっと主人もそう。お互いにそうなんだと思います。
ただ、私は息子がいたことで磨かれて、きっと、主人だけでは私の成長はなかったでしょう。二人だけだったら、もっと平穏に仲良く暮らしていたはず。
私は相当アクが強いので(笑)、主人レベルでは私の成長は無理と神様が判断したんでしょうね。
アクの強い私にはさらなる強いレベルのギフトが必要だったということで・・・。
ホント、息子はいろんな意味でギフトと今は思えています。
私にとっての成長は、親になること、だったんですね。
主人は親になることよりも上司になることで、修行していると感じます。
どの立場でもみんな同じ修行であって、試合開始後のゴングの中今も試合を戦っているんですよね。
相手のパンチをよけたり、ガードしたり、フェイントをかけてパンチをしたり、ここぞというときは正面から行ったり。
結局私がして来たことは、効果的なパンチを最初から繰り出すことができず、どうしたら当たるんだろう?という状態だったんです。
パンチを当てるには、相手の動きを見ることが必要ですし、相手の心の動きも察しないといけません。
『相手を見ること』ここにたどり着くんです。
最初は見ようとしても、自分の技術が追い付かないことが多く、なかなかうまく行かない。
でも、次第に見えてくるその『瞬間』ってあるんですね。
このポイントに到達すると、全体の中での一つの動きが見えるようになるし、どうして今まで見えなかったんだろうって思えてきます。
もがきは苦しいけど必要。
わからなくて、もがくからこそ『ここから脱したい!』と思いも湧き上がり、何とかしようとしますから。
わかっている人、できる人から見たら、この人は、体力を消耗するパンチや動きをしている、そう見えるはずです。
でも、それがその人にとっては必要不可欠な過程で、その人が脱するポイントに近づいたときに『これだ!』と気付くものなんですね。
あくまで、本人の課題、修行ということ。
やっと、なんとなく、わかってきた私です。