息子を見ながらつくづく思うことがあるんですよね。
息子が心を開ける大人とは?とね。
息子が不登校になってから、私もその時の担任の先生と対話を重ねてきました。
小学校、中学校の9年間で、息子が心を開いた担任の先生はおそらく1人。
良い先生じゃん?って息子が話したのは、その先生1人だったように思います。
息子が学校に行かなくなって、遠巻きに学校を見るようになり、息子が学校に感じている居心地の悪さというか、その感覚が、離れることでわかったところがあります。
あくまで、息子が在籍していた学校の話ですけど、先生はどこかみんな義務的で、心が感じられなかったんですよね。
キチンと対応はして下さいますよ。
でも、わかってしまうんです・・・
感じる心って正直ですよね。
プリントを受け取りに学校に足を運ぶとき、私自身が気持ちを落として帰ってくることがほとんど。
先に挙げた先生の時だけは、心軽く帰ってこれましたし、むしろ、プリントを取りに行くのが楽しみでもあって、息子の状況も話しやすかったんですよね。
これって、人柄だけの問題なのでしょうか?
どの仕事でもそうだと思いますが、自分の仕事にどういう姿勢で向き合うのかで全く異なりますよね。
9:00〜17:00まで決められた仕事をする、という人もいるでしょう。
今日はお客様をどうやって喜ばせようか?と考えて仕事をする人もいるでしょう。
給料の額が同じだとしたら、上記の働き方の方が効率的かもしれませんよね。
でも、お客様の心を掴むのはどちらでしょう。
これは先生にも当てはまると思うのです。
息子が心を開いた先生は、間違いなく息子の心を掴んでいました。
相手の心を掴む接し方。
この視点を持って仕事をするってこと、私はとても大切だと思います。
なぜなら、子供の頃にどのように向き合ってくれたか、どんな言葉をかけてもらえたのか、このことは成長してからも影響を与えるから。
子供の時に聞いた否定的に言葉はたとえそれが真実ではなかったとしても、その子に思い込みを作ってしまうこともしばしば。
私達だって、子供時代に言われた言葉を未だにそうだと信じ込んでいる、そういう面もあると思います。
思い込んでいるだけでね。
実際、私自身がそうでした。
息子の不登校で剥がれ落ちた部分もかなりありますけど、まだまだ思い込んでいることが多いんだろうなと思っています。
学校の先生だけが教育者ではなくて、みんながそれぞれ教育者。
接する態度、かける言葉、それが心に刻まれて子供は成長していきます。
何気なく言っている言葉が、子供の心に残っている可能性は多い。
親としては奮起を促すつもりで言ったとしても、受け取る方がそのように受け取らなかったら、マイナスに働いてしまうことだってあります。
これは、私がしてきたことであり、反省していることです。
だから、敢えて言っています。
できれば、子供が成長したときに、良い思い込みが残るようにしたいもの。
厳しさがあってもいいんですよ。
でも、そこにきちんと愛がのっていることが必要です。100%子供に矢印が向いている愛ね。
子供のためと思って言っている言葉に、自分の望みが入っている時がありませんか?
いろんな反省と経験を踏まえて、子供の可能性を引き出すような大人でありたいと今は思います。
その意識だけは持っていたい。