不登校を経験したからなのか、私が歳をとったからなのかはわからないけれど、年々、幸せの基準が下がっていく自分を感じています。
昔の私は行動派。
1人で海外に行っちゃうし、どちらかというと外に出て喜びを得ていました。
それが、息子の不登校に付き合うようになって、自宅で過ごすことが多くなり、自宅で楽しむ方法も見つけられるようになって、
こっちの方が好きかもってなっています。
家にいると自分の落ち着く空間造りなんてのもしたくなるし、掃除をして、浄化された気分になるのも幸せ。
そうそう、私は新しいものより、古くても、きれいに、工夫を施して過ごすのが好き。
どこかひねているんでしょうかね~。
新しくて、広くて、にも憧れるんですけど、それが快適になりうる空間であるのは当然でもあって、ちょっとつまらない。
引きこもって、引きこもりの気持ちがわかって・・
私も引きこもりが実は好きともわかって・・
次は、断捨離だな~(笑)
息子が朝早くに起きただけで嬉しくなるし、夜早めに寝ただけでも嬉しくなる。
普通の家庭ではごくごく日常で、こんなこと思いもしないでしょう。
すごく得した気分。
あとね、たまーにある家での一人時間。
あ、たまにじゃないね、稀にです。この時間がものすごく嬉しく感じたり。
気の置けない専業主婦の友人に
『毎日一人で家にいるのって暇じゃない?』と聞いてみたとろ、
『暇だよ。。。』の答え。
これは、その友人が暇なだけで、忙しくしている方もいるだろうし、楽しんでいる方もいると思いますよ。
友達には毎日ある一人の時間を妬みに近く、羨ましく思った時期もありました。
でも、最近はそれがない。
息子がいても毎日が楽しいし、一人になっても違う喜びを楽しめます。
綺麗ごとでもなんでもなく、日常そのものが幸せになってきています・・・
合氣道をやっていた頃によく言われていたのが、
・力を抜いて
・全体を見て
でした。
合氣道では、リラックスした状態が一番強い状態とのこと。
私はそのレベルでは全然ないのでその動きはできませんでしたが、理屈はわかります。
リラックスしているから、相手の動きを余裕をもって見ることができる。
リラックスしているから、相手の力を感じ取ることができる。
リラックスしているから、相手の動きに逆らわずして相手の力を利用することができる。
心と身体はつながっています。
首、肩の凝りから頭痛に悩まされるときは、私の心は何かに囚われていることが多い。
今日のようにリラックスできているときは、心も幸せ感でいっぱい。
いつもいい気分でいるなんてことは無理だけど、日常のことに喜びを感じることができるようになったのは、息子が不登校だったからでしょうね。
誰しもが最初は受け入れられない不登校。その状況を何とかしようともがき苦しみます。
行かせよう!行ってくれたら嬉しい!という母親の思いがどこかにあるうちはまだ苦しい。
『あるがまま』で良し!
そう思えたときに扉が開きます。
辛いけど、不登校は『幸せの道』に通じています。