昨日、友達と孫の話になりました(笑)
私の年齢でおばあちゃんになってる人もいるとは思いますけど、私の親しくしている友人の中で孫がいる人はまだいませんね。
「孫は勿論可愛いとは思うんだけど、私は息子の方が可愛いんじゃないかな・・・。そんな気がする。」
と友達に話したら、
「私もそうかも」と。
私の父は孫である息子を本当に可愛がっていたんですよ。
たった一人、やっとできた孫というのもあったのでしょうけどね、おんぶして散歩したり、自転車で遊びに行ったり、べったりでした。
驚いたことがありまして、息子が、
「俺、じいちゃんの怒った顔を見たことない。いつも笑っていたし、俺のいうことをなんでも聞いてくれた^^」
って言っていて、私は、
「・・・・・・・・・・・」
言葉がなかったのです。
というのも、父は短気で怒りっぽくて、家族はみんなそのとばっちりを受けていましたからね。
父の怒った顔を知らない、というのは私に中ではありえない話だったので、ちょっと驚きました。
若かりし頃の私は今よりも血の気が多かったので、反抗しっぱなし。私より温厚な兄でも随分と喧嘩した、と先日聞いたばかり。
この話を聞いた息子が今度は
「・・・・・・・・・・・」(笑)
そんなじいちゃんは信じられないようです。
父にとってはそれだけ孫の息子が可愛かったということだったんですよね。
息子が不登校になった小学2年の時に亡くなって、できれば大学に行く姿を見届けて欲しかったという思いもチラッと出てきましたけど、でも、それまでの不登校の姿を見せる方がむしろきつかったかな。
きっと息子のことで私との喧嘩もヒートアップしていたでしょうし、息子にとっては笑顔のじいちゃんだけの記憶で良かったりと思ったり。
何が言いたいかというと、それだけ孫が可愛かったという話ね。
孫の可愛さは持ってみないとわからず、今の私は想像だけです(笑)
でも、私は息子の方が好きで楽で一緒にいて気楽だと思えるんですよね。
私達親子は、きっと周囲からみたら、親離れできていない、子離れできていない、ヤバい親子に見えているかもしれません。
「いつも仲いいね^^」と同じマンションの人にも言われることもあって、「えっ?」これって普通じゃないんだ~と我にかえることもあります。
でも、なんというのかなぁ、私の心の中では、息子に対してはもう一人の大人として接しているつもり。
心配は一生していくんでしょうけど、それでも何とか乗り切っていくだろう、息子なら、それを乗り越える知恵を出していけるだろう、こうした信頼もあって、安心も強いんですよね。
経済的な面ではまだ親の力が必要な息子だけど、思考面とか知識面では対等以上だと思えてて、その辺の心配は本当に少ないのです。
こうして考えると子離れの基準も難しいですね。
経済的な面というのは「見える」のでわかりやすいですけど、精神的な面は「見えない」ので、親離れ子離れしているように見えて、実はそうではない人もいるのかも、と今書きながら思いました。
自分の中では、精神的な子離れができているつもりでも、周囲は親離れ子離れできていない親子と見える。
不登校で鍛えられたかな?
周囲にどう見られても、どう思われても、なんとも思わなくなりました(笑)
とても不思議です。