あなたは人との会話からヒントや閃きを得たことがありますか?
これは、本当に何気ない会話やメールのやり取りから生まれることがあります。
そのたった一言で、自分ができないと思っていたことが、できるようになるということもありますよね?
『できない』と思うことは『できない自分』を守るための防御みたいなもので、自分で制限をかけているだけ。
こんな例はどうでしょう。
今では男子の100メートルは9秒台です。
しかし、昔は10秒の壁と言われ、不可能な数字と言われていました。
それをカールルイスが平地で初めて9秒台を出したのです。
そして、面白いことに、その後次々と10秒を破る選手が出てきたのです。
もう一つ例をあげましょう。
女子マラソンの高橋尚子選手です。
シドニーオリンピックで優勝した翌年、ベルリンマラソンで女子では初となる2時間20分を切る当時の世界記録を作りました。
しかし、喜びもつかの間、その記録は1週間後に塗り替えられます。
1人が可能と信じてそれを証明すれば、それは人から人へ伝染していく。
この証明です。
これはどういうことなのでしょうか?
できない・・・理由を並べるのは難しくはありません。この世の中には不可能と思えることもたくさんあります。
それでもできると信じて、挑戦した人たちがその壁を壊してきたのです。
そして、同じ人間なら、あいつにできるなら、私にもできるはずだ!と己の可能性という蓋を開け始めたのです。
不可能を可能にした人が、身近な存在であるほどその壁は壊しやすいですね。
クラスの同級生だったり、幼なじみだったり、『○○にできるのなら、私にだって』と思えるのではないでしょうか?
人は、勝手につくりあげている障害というものを、まだまだたくさん持っていると思うんですよ。
不登校もまだ少数派で事例も少ないです。
どうしても大多数に圧倒されてしまいますから、不安に陥る環境にはありますね。
しかし、時代は変わってきています。
少子高齢化が進み、企業も海外との取引が多くなり、日本特有の受け継がれてきたものが壊れつつあります。
学校がなくなることはないと思いますが、海外の企業が日本に進出することによるグローバル化により、自主性を尊重する教育が増える可能性だってあります。
今までの学校教育は、組織社会にスムーズに入れるよう、会社で働いてくれる歯車を増やす意味もありましたよね。
もう右肩上がりの経済成長を望めないところに来ているのですから、これからは会社ではなく『個人』の時代。
自分で考えて、それに従って行動し、自分で修正し、自分で結果を改善していく。
こういった自主性、自己責任が求められる時代になってきていると思います。
学校だけではなく、+αの個性が求められるのです。
学校に染まっていない不登校の子供たちは、個性を発揮するには、有利に働くことだってありますよ。
不登校を障害と思ってしまえば、壁は壊せませんけど、可能か不可能かを決めるのは自分でしかありません。
カールルイスやQちゃんのように、可能性を証明すれば、それはあっという間に伝染するのです。
これは、大多数の方からは、笑われてしまう考えかもしれませんけど、でも、それでもいい。
私は息子がダメの存在にはとても見えなくて、たくさんの可能性がまだまだあると思えるので、
その可能性を信じます。