昨日は久しぶりに伯母と食事でした。
自分の年齢を考えれば、伯父伯母が高齢ということは当たり前。
電話だと忘れがちになってしまうけど、会うと実感するんですよね。
それにしても、いろんな歳の取り方があります。
歳を取っていても、ワガママで自分本位な高齢者もいれば、自分の過去の経験を点でつなげて、その意味を見出し、自分の宿命を振り返ることをする高齢者もいますね。
高齢者のお話は、深くて重い知恵があるんですよ、私にとっては。
ただ、聞き流すのはもったいない。
伯母も80歳。
10歳は若く見え、未だに活動的。
ニュージーランドに旅行に行く計画を立ててたんだけど、友達がいけなくなっちゃって・・なんて話もしてくれました。
すごくイキイキと過ごしているように見えます。
そのように生きるきっかけの一つが癌になったこと。
自分が癌に気づくまでのエピソードを、今思えばこうだった、と点を繋げるように話してくれました。
そして、
『今はオマケの人生だから、楽しまなきゃ損^ ^』
『人生、自分の思う通りになんかならないから、チャランポランに生きた方が良いわよね^ ^』
と笑顔で話すのです。
すごくわかるんですよね、この意味が笑。
私の亡くなった母親は、こうと決めたらこう、と完璧主義のところがあり、他が見えなくなることがありました。
他を一切受け入れられなくなって、思い通りにいかない現実に、自分で自分を苦しめていたところがあったと思います。
母親の姉に当たる伯母。
姉妹でもこんなに性格が違うんですね。
私は兄しかいないから、姉妹間の感情的なものはわからないけど、母親と伯母の間では、いろいろ傷つけあうこともあったのでしょう。
話の中で、母親の性格や行動を責めるようなところもあったのですが、そこは姉妹ですからね。
私がそこに感情を差し挟むのではなく、母の立場、伯母の立場、双方で考えると、
人生に良い悪いはなくて、その人が自分の人生を全うしたと思えたかどうかなのかな、と。
その人生が人の目にどう移ろうとね。
自分の生き方は、人には如何様にも見えるし、苛立つことも口出ししたくなることもあって、こうすれば、自分を苦しめなくてもすむのに・・・と思われることもあるでしょう。
でも、忠告する側が苦しい考え方と思っても、当人にとっては、他の選択肢を取ることが苦しい生き方になるかもしれないってことですよね。
伯母にしてみれば、母親の意固地さを柔らかくしたかった。
でも、母親としては、伯母のいうチャランポランに生きることが逆に苦しみになることだった。
こんな感じだったのかな、と。
姉妹間だけにこの辺の感情は露わに出てたはず。
私も親戚間の人間関係では、
『なんでこの人こんなんだろう?』
と思うことがまだまだあります。
そして、今はまだ、こういう意味だったんだ・・・と気付けていないことも多いです。
いつかこの意味がわかる時が来るのだろうし、それが今というタイミングではないんですね。
歳は取れど、生きるほどに深みが増していくのが人生ですね。