女性の方は頭痛持ちの方が多いかな?
先日の母の日に、娘さんからを頭痛薬プレゼントとしてもらったという私の友人がいました(笑)
「必需品と言えば必需品だけど・・・」と笑っていましたけどね。
まだ小学生の娘さんのちょっとずれた発想が面白かったです^^
私も偏頭痛、緊張型頭痛、気圧変化による頭痛ありで、バックにはいつも頭痛薬が入っています。
これが一種の安心感みたいなもの。
飲めば楽になる、効くことがわかっていますから、普通と言えば普通のことです。
昨日もちょっと頭痛を感じたものの、なんとなーく、痛みと戦ってみたくなりました。
戦うというとちょっと苦しさを想像してしまうかもしれませんが、どうやって痛みを軽くできるか、痛みと仲良して過ごしやすくするには、などの挑戦ね(笑)
時間をかけてストレッチをしてみたり、ウォーキングがてら本屋に行ったり、楽天戦をテレビで観たり、息子にちょっかいを出したり。
何かをしているときは確かに痛みを忘れる瞬間があるんだけど、思い出すと痛むみたいなことを繰り返すし、意識を頭痛に戻すと痛みが増すような感覚もあって、これこそ「病は氣から」ということなんだろうなぁと確認していましたよ。
気になることに意識を向けてしまうのはごくごく普通のことですよね。
痛みとかネガティブなものほどすぐに大きくなって、負の連鎖へ・・・です。
わかってはいるけど、この対処が難しくて、でもこの何らかの対処法を持っている人は、楽にそして楽しく人生を生きる。
頭痛薬も痛み軽減の手段です。
私の場合、頭痛薬と知ってて服用するから効きますけど、頭痛薬だよ~と渡されたサプリメントでも効きそうです。いわゆる「プラセボ効果」と言われるものですね。
それは、薬を信頼し、飲めば治る!という確信が私の中であるから(笑)
不登校を頭痛と同じ痛みをもたらす病と考えれば、対処法は同じになるのかなとも考えました。
頭痛も薬に頼るのではなくその原因を突き詰めていけば、そして、自分がそのことに納得して原因を潰せれば良くなります。でも、安心薬としての頭痛薬の存在も私には大きくて必要なもの。決して悪いものではないとも思っています。
不登校も原因がわかれば私達も対処をしていけるけど、我が家のように結局通えずじまいということもあるだけに、先が見えない不安は付きまといますよね。
不安を消すことができなくても、ここで頭痛薬に代わる「安心」や「確信」を自分自身が感じられるものがあれば、しのいでもいける。
ここで、あなたにとっての「安心」や「確信」が何になるのか?
私にとっての「安心」と「確信」は何だったのだろう?
不登校でも息子を大丈夫と思えるまでに、私を信じさせてくれたものは何だったのだろう?
痛みを感じつつ不登校の痛みを重ねていました。
初めの頃は、私の悔しさと勝気な性格から「通学できている子に負けないようにして見せる」だった。
でも、これは戦いでもあるので結構苦しい。
戦闘モードは勝負の時に発揮するもので、毎日毎日そんな状態は保てませんって(笑)
この状態でも大丈夫!と思わせてくれるのは、接する人なのかなぁ。
「通えなくても、こんなにいい子じゃない?」
「全然他の子に劣っているところなんてないし、学校から解放されて大人になってからの方が楽しみだよね」
小さな言葉かもしれないけど、心に響く大きなコトバをかけてもらえれば、私は嬉しかったです。
不登校は子供の心を閉じさせてしまいます。
行けない自分を悪いと思い、罪悪感を抱かせてしまいます。
この状態のお子さんは本来の状態ではないし、接するお母さんも本来のお母さんではないですよね。
でも、ちょっと笑顔を引き出せたら、子供もお母さんも扉は開くのかなと思ったり。
お子さんの笑顔を引き出すのはお母さんです。
でも、お母さんの笑顔を引き出すお手伝いなら私も少しはできるかなぁとも思っています。
そんな小さな試みを大事にしていきたいですね^^
今日もよろしくお願いいたします(^_-)-☆