息子の夏休みは日中から深夜まで遊んだ日があると思いきや、翌日は一日寝て過ごす、という極端な生活。
最近は、高校の友達を誘ってメダルゲームに行くことが多いかな?
一応最終の電車では帰ってくるので帰宅の目安時間はわかるけど、夜まで外出し遊ぶようにはなりました。
果たしてこれは喜ぶべきことなのか、心配するべきなのか?
あなたならどちらでしょう?
私は喜びの方が強いかな?
終電過ぎて帰って来なかったら心配になるけど、終電までなら落ち着いていられます。
私より主人が心配性で、これは義母譲り。
先日帰省した時も、息子は義母から「夜は危ないから家にいるようにするんだ!変なのいっぱいいるんだから」といつものように言われていましたっけm(__)m
これが実は厄介・・・
私なら反発していたところですが、息子のすごいところは逆らわずにスルーするところ(@_@)
義母の心配する気持ちもわかるし、心配する言葉を何度も浴びて聴くのが嫌になる息子の気持ちもわかる。
そして、残念なことに、こういったことが息子の帰省したくないという気持ちを大きくしています。
私が学ぶべきことは、私が歳を取ってめでたくバーさんになれたら(笑)、心配は心の内だけにして、いつでも明るく孫を迎え入れて、時には「逃げ場所」であり、「居場所」にすることかな。
私のブログの読者さんには、孫が不登校で・・・と心配するおばあちゃんも数名いらっしゃるんですよ。
すごく素敵なおばあちゃんばかりで、お孫さんが安心してそばにいるんだろうなぁと私は想像しています。
子供である親がいる以上、孫の教育には口を出せない。心配もあふれそうになるくらいにあるのに、私ができるのは美味しいご飯を作ったり、孫に笑顔で話しかけたり、孫が笑って過ごせるのを手助けすること、と頑張っています。
最初はね、もしかしたら親子での衝突もあったのかもしれませんけどね。でも、そうしたところで孫の状況が変わるわけでもないし、むしろ、その衝突する姿を見せることで、「自分のせいでこうなっている・・」と孫が心を痛めてしまうこともありえるわけで。結局、良いことはないんですよね。
私が素敵だなぁと思う母親、おばあちゃんは、ある点でみんな共通しています。それは、自分の方が変わって、お子さん、お孫さんの対応しているということ。
人を変えることはできないけど、自分は変えられる。変えることができるのは自分だけ。
もう聞き飽きた言葉ですけど(笑)、この言葉は真実ですね。
もしかしたら、あなたも「うん。うん。」頷いている?
これは、一気に到達できるものではありません。
最初は言いたいことだらけ、思うとおりに動いてくれないことにイライラしっぱなし。でも、どこかできちんと学習できるようになっているのか、段々と受け入れられるようになり、その頻度が減ってくるんですよね。諦めるのとはちょっと違うけど、抵抗しなくなっていきます。
嫌なことに抵抗するから苦しみが生まれます。
そして、抵抗すればするほど苦しみは続いていきます。
きっと、今このブログを読んで下さっているあなたは、このメカニズムを体感していて、私の言いたいことがわかるはずです。
抵抗をやめれば、苦しみは減って、心が緩んでは平和な感じがするんですよね。安住の平和でななく、心配もある平和ですけど、それでも昔とは異なり、高い視点から子供のことをみれるようになっている。
まだまだ先ですけど、私達はいいおばあちゃんに慣れる素質がいっぱいありますよ。
子供よりも孫の方が客観的に観れるような気もしますしね。
おばあちゃんになったときに、このブログを読みかえしたら面白いかも(笑)
なんか、最後は楽観的な結論で終わりました!
ありがとうございます(^^♪