信念という言葉、とても凛とする言葉だけども、時として、判断を誤らせるくらいに邪魔になるときもあります。
これは私だけなのかな?
今でも覚えているんですけど、
『完璧』という漢字を私はずっと『完壁』だと信じていました。
指摘を受けるまでずっと・・・。
「え、違うよ!」と言い返したり、自分を信じて、人を疑う典型的な例ですね^^;
この時は自分に愕然としたのと同時に、恥ずかしい気持ちもあり、自分を信じることをやめよう、
と思ったことを覚えています。
でも、そうは言っても完全に抜けきることはなくて、息子と向き合いながら、
「また、自分やってるよ~」
と思うこともしばしばなんです。
学校に行くこともそう。
生活リズムといった習慣もそう。
勉強やボウリングへの取り組みもそうです。
私はどうしても自分の過去と比較してしまう傾向があります。
息子と私はことごとく違うので、私は自分の信念に縛られている、とあっさりと気付けるのがありがたいところでもあるんですけどね。
勉強にしてもスポーツにしても、私の中では「負けたくない!」がモチベーションになっていました。
負けて悔しいのではなくて、できない自分が悔しいからというモチベーションですね。
これね、今になって思いますけど、その目標としていたものが終わってしまうと、
「これからどうしよう・・・」って燃え尽き症候群のようになってしまうんですよ。
集中するエネルギーは大きい。けど、継続しない。
今の息子の状況に置き換えれば、私であれば「落ちたくないから受験勉強をする!」であって、
でも、受かってしまえば、そのあとは勉強する意欲は失せてしまい、継続が難しい。
合格という短期的な目標であれば、この力は発揮できますけど、一生勉強を続ける長期的な視野は描けないな、と思います。
私は非常に勿体ない勉強の仕方をしてきたな、というのが息子を見ていて思うことですね。
息子の勉強の目標というのは、これは私の想像で、息子本人がどう考えているかはわからないんですけど、合格だけではモチベーションは保てず、
今勉強しているとが将来にも活きる知識となるか?血肉になるか?
その血肉になるような目標をみて動機づけをしたい!
このように思っているような気がします。
勉強する必要性を自分で明確にしたい、
そんなところでしょうか?
大学卒業じゃないと将来が不利!とかそういう必要性ではなく、この教科は将来〇〇に活きるとか直線的に見えてくる目標ですよね。
長期的視野で見たら、息子のやり方の方が、一生勉強を続けるモチベーションは保てるし、おそらく、その勉強し続けられるものが、息子の将来の仕事につながる可能性が高いとも思います。
ホントはね、息子が向くのは海外かもしれませんね。
日本は入学するのが難しくて、卒業は入学ほど難しくはない。
アメリカでは入学よりも卒業が難しい。
自分の専攻したものの勉強を深めていくことが求められるんですよね。
とは言っても、ここは日本。
飛行機嫌い、日本大好き、の息子ですから、その選択肢はなくて、
日本で我が道を行くのでしょう!
私はかつての自分が利用してきた「負けたくない!」というモチベーションより、将来の自分の血肉にする学び方というモチベーションの方が今では好きで、自分の視野の広がりを促す考え方でもあると思っているんですよ。
勉強するのに苦痛を感じず、楽しみを見出せる、
そう感じます。
人は一生勉強していくんです。
机に向かうだけが勉強ではなく、自分が人生を生き切った!と言えるくらいに、自分を高めていく勉強をしていきます。
後悔をしないためにもね^^
これも息子がいたからこそ気付けたこと。
もしいなかったら、私はどんな勉強をしていたのだろう?
こっちが終わったから今度はコレ、みたいなことをしているかな、と思えるから怖いです^^;
自分の信念って、意外とあっさりと変えれるものですね。
それに気付ける何かがあれば、次から次へと変えることもできて、とてもゆとりをもって向き合えます。
今は試験の合否も大切かもしれないけど、その姿勢はこのままで・・・と母は思います。