昨日はですね、講義を受けてきた息子から私が講義を受けました。
まぁ、内容は専門的だし、用語も聞きなれなし、私には不向きで難しいなと感じましたね。
例として、不登校のケースでも説明してくれたそうで、息子はよく理解できたと言っていました。
ただ、その講義の内容を息子聞いた私は、古傷をえぐられた感じになりました(笑)
なぜかって?
それは、私の不登校の子供に対する対応が子供にとっては不適切だったということをガンガン言われているようなものだったからです。
私達親子にとっては、当時の私のダメダメな私の態度ももう振り返ることができる過去になっています。
ですから、息子に「ごめんね」というよりかは、当時のお互いの心理、例えば、
「あの時はこういうことをしてはいけなかったんだね」
「あんたの心の苦しさは逃げ場のないこういう気持ちだったんだね」
と分析する方向に傾いているんですね。
つまり、過去にしてきた行動を、あとから理論づけして、理解する作業をしている感じが今かな。
今はそんな親子関係なので、息子は私を一切責めず、心の仕組みを説明してくれました。
私の親としての未熟さも受け入れてくれているのかもしれないし、親はそういう態度に出る傾向があるということを経験で学び、他のご家庭を診るときのデータとしてインプットしているのかもしれませんね。
ちょっと、簡単にわかりやすく説明しますね。
子供の不登校が始まると、親は学校に行かせようとしますよね?
でも、子供は行きたくない。
これ、あるあるですね?
実は、この時点で、コミュニケーションは成立していないんだそうです。
行かせようとする親と行きたくない子供。矢印は逆方向ですよね?
次に、この状況から一歩進み「行かなくていいよ」とお母さんが寄り添ったとします。
心からそう思えているならいいんですけど、口では行かなくていいと言っていながら、顔では「行け!」と言っている。この場合が問題で、
子供は「行かなくていい」と「行け」との間に矛盾を感じて動けなくなってしまう、頭の中では混乱状態が起きているんだそうです。
これもあるあるですよね?
あと、こんなケースもあるかな?
行かないことを親は全面的に受け入れてくれた。でも、時々、
「修学旅行は行ってみたら?」
「今日はテストだから行ってみたら?」
「午前中だけでも行ってみたら?」
何かをきっかけに登校を促すこと。
これも、行かなくていいって言ったのに行けって言ってる、子供が混乱することなんだそうです。
ぜーんぶ、私はやっています(笑)
ここで、
「お母さんは行かなくていいって言ってるけど、心では行けって思ってるんでしょ!」
「お母さんは行かなくていいって言ったのに、どうしてまた行けっていうの?」
と言える子供は、言い返すという「逃げ道」をまだ持っているからまだ良いらしいです。
ただ、何も言えない子供は、「行かなくていい」と「行け」この二つに拘束されてしまって、逃げ道がなくなっている。もう混乱している。
こうした矛盾を提示されて、頭の中の混乱が続くと、どうなるかはわかりますよね?
子供の心と体は疲れていってしまいます。
息子は講義を聴きながら、きっと当時の自分の気持ちを説明されて、納得したんでしょうね。
「あの時のモヤモヤした気持ちは、こういうことだったんだ・・」と。
人は腑に落ちて、自分で納得できれば行動に移せますからね、この話がどなたかの心に届けば嬉しいです。
私達も、昨日の話はお互いが納得できて、勉強になりました。
最後にお伝えしたいことは、
まず、最初に合意に基づくコミュニケーションをとることが必要で、親として何かを言いたいときは「今、話せる?」と聞いてみること。
子供が嫌だといえば、その時点でコミュニケーションは成立していないので、その状態で話しても良い結果は導き出せませんしね。
初めてのことを最初から上手にできるのは天才だけです。
最初は出来ないのが普通で少しずつできるようになっていくんですよね。
私も親としての過ちもたくさんしてきたけれど、きちんと気付いて、学習して、対応ができるようになってきたと思っています。そして、それはこれからも同じです。
だからあなたも、できない自分、できなかった自分を責めないでくださいね。
「気付けて良かったね」「これからできるようになっていくね」なんですよ^^
できなかった自分を優しく癒して欲しいと思います。