不登校の子の10年後、20年後。
普通の子の10年後、20年後。
私はよく想像します。
子供の成長云々を言う前に、10年後、20年後の日本が相当変化しているでしょうね。
少子化問題はそのまま継続していて、その頃は、働き方も多様になっていると思います。
会社組織はなくならないとは思いますが、会社で必要とされるのは、どこの会社でも欲しがるような有能な人材。
つまり、一部の人間だけが雇用され、他の人は自分で収入を得る手段を持たなければ生活できない。
現在よりも社員という人材は求められないだろう、今以上に会社組織は崩れているだろう、と私は思っているのです。
不登校で肩身の狭い思いを感じているのは、私たちが少数派に属しているから。
大多数の中に入れば、それで安心というのが日本の国民性でもあって、不安なのは当然です。
その気持ちは否定せず、ぜひ感じとってください。
あなたはその不安をどうやって解消しますか?
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私は、不登校の子が持つ個性にもっと目を向けることでその糸口をつかみたい。
今は心の中にある『学校・・学校・・学校・・・』という重い言葉に、大切な個性が押さえつけられているように思います。
私には、これが盆栽のように見えるんですよ。
盆栽に関して全然詳しくはないんですけど、枝に針金をかけたりして、形を整えたりしますよね?
強制的に形を整えられることで、美しい盆栽になります。
しかし、本来の美しさではなく、人工的に作られた美しさ。
自分が伸びたい方向ではなく、縛られることで別な方向に伸びて、芸術的なものになります。
日本人の繊細さの表現でもありますね。
しかし、私だけの感覚なのかもしれませんが、どうしても美しさの裏に苦しさを感じてしまうのです。
美しさを創りだすのも芸術ですが、ありのままを活かす美しさも芸術です。
もし、学校という縛りがなくって、自由な選択をできる学習環境があったなら、どんなに不登校の子は強いだろう。
10年後、20年後は、むしろ不登校の子の個性が活きているのでは・・・と、私はそう想像するのです。(能天気な脳でしょ^^;)
終身雇用制が、年金制度が、10年後、20年後にはどうなっているでしょうか?
それを考えたら、一足先に個性を磨いておく、という考えもあっていいのでは・・・。
普通の子だったら学校に行けるんですよ。行けないだけで、もう立派な個性。
大多数に圧倒されない心持ちを持つためなら、たとえ、強引であろうとも、私は不登校に有利な考えを作りだしたい。
あなたのお子さんは他の子に比べて劣っているのですか?
決してそうではないでしょう。
優れているところが、たくさんたくさんあります。
不登校が引きこもりになると言いますけど、これもおかしな言い方だなと私は思います。
学校に行けずに周囲の目を気にしているのが不登校の子供たち。家にいることで自分を守っているんですよね。
日中外出したら変な目で見られる、同級生に見られたら、同級生の親に見られたら、学校には来ないけど、○○で見かけたと言われる、
そう思われることもあるから外出しずらい、と思う子供も多いと思いますよ。
それが長く続けば、それはひきこもりになりますよね。
元々引きこもり体質の子もいるでしょうけど、引きこもらされてる子供もいるでしょう。
不登校という現実を客観的に見れるようになると、いろいろと面白いことも見えてくるんですね。
最近はそのようなことも考えるようになりました。