若いっていいですね!
息子の回復が早くなっていますし、体力もついてきています。
なーんて、当たり前のことなんですけど、自宅で回復する息子を見て、母はまた感慨深いものを感じていました。
幼少期は悪くなることはあっても、自力での回復がまずなくて入院が必要でしたから、体調の悪い息子には悪いけど、ちょっと嬉しさも感じていたのですよ。
考えてみれば、今まではほとんど引きこもっていたので、主人が家に菌を持ってこなければ、そもそも感染はなかったんですよね。
だから、風邪をひくことも少なかった。
これはこれで発作を休む療養でもあったと考えることもできますね。それと、受験期には感染を避けることもできていたと考えることもできます。
息子の身体にとっては、不登校は決して敵ではなかったんだなぁと。
今になってそう感じていました。
悪い方に目を向けてしまうと悪いことしか見えなくなってしまう。
子供が不登校になって、お母さん方はみんなそれぞれに情報を集め、不登校に関する勉強を始めます。この学習意欲というのはもの凄いと私は感じています。
我が子のことだから必死にもなるし、自分が望む改善にはならなくても、それでもいいと心から思えるようにも変化もしていく。
それは、不登校初期では考えられなかったことだと思います。
私はそこが親が最終的に辿り着くところか、と今までは思っていました。
でも、今はちょっと違う。
私も不登校に関してはいろいろな角度から勉強もしてきて、自分で納得もし、客観的に状況も見れているつもりでいました。
その私は今、完全に不登校とは呼ばれない世界にいるわけです。
仮に息子が引きこもりであったとしても、もう不登校とは言われない世界にいることになりますよね。
この位置に立つことで、初めて客観的に見れることを実感しています。
今までは不登校の世界にいながら不登校の世界を俯瞰しようと努力していましたけど、ちょっと無理があったということ。
客観的に見れていたようで実は違ったなと思うこともしばしばで、まだひと月ちょいですけど、そんな風に感じることが出てきています。
理解や納得って後から付いてくるからホント皮肉。
物理的な解放が目隠しを外してくれたように思います。
しかも、あっさりと。
縛りってそれだけ大きいということなんですよね。
見えるものも見えなくさせてしまうんですよ。
私には今までの自分の経験があります。そして今は、客観的に不登校を見て考えられる立ち位置があります。
今後の私の一つの役割は、その2つの観点から不登校に関することを伝えて行くことなんでしょうね(^_-)-☆