私の頭の中はちょっと人とは違うかもしれません。
こうしてブログでお伝えするようになってからというもの、前よりも『あること』について考えることが多くなりました。
その『あること』とは?
それは、
『不登校で得した!』
と思えることは何だろう?
ということです。
不登校を解決しようという気持ちは、ダメなものを良くしようとするもの。
苦手科目を勉強して克服するようなもので、これはちょっと苦痛ですよね。
苦痛はもう十分ですから、ちょっとぶっ飛んだ、ありえない考えに行き着こうとも、私は考える努力をしているのです^^
今日はその中の一つを紹介します。
変わっていますから、サクッと読み進めてくださいね。
不登校の子は自分の感情に向き合うのが上手で、自分の中にいる『本当の自分』というのをブレずにしっかり持っているのだと思います。
良い子は学校に行きます。先生の言うこともききます(たとえ嫌だと思っても)。
不登校の子供は嫌だから行きません。人が怖ければ逃げます。
自分に我慢を強いることなく、感情に素直なんです。
このことを周囲の人たちは、根性がない、我慢が足りない、心が弱い、自己中心的・・・とか思うんですよね。
それは自分も我慢してやってきた経験があって、それを乗り越えてきた事実があるからで、このくらいはあるんだぞ、と。
でも、どうでしょう?
最終的に、どちらが自分らしい人生を送れるでしょうか?
これは、自分の感情に素直な不登校の子ではないか、私はそう考えたのです。
私自身もたくさんのやりたくないことを我慢してやってきましたけど、それって、ただの使い勝手のいい、いい人物だけだった?と今になって思うんですよ。
評価される、必要とされる、ということ自体は嬉しくて自己重要感は高まりますが、精神面が健康かと言ったら、これはむしろボロボロで。
自分らしいとは言えなかったですね。
ほとんどの方は私と同じ体験をしていると思います。
周囲の人は不登校の子を、あれもできない、これもダメか?な状態で何をやってもダメ・・・という目で見がちですけど、見方を変えれば、こうも言えるんですよね。
何か苦手な嫌いなものにぶつかるたびに、それを『自分には要らない情報』として排除する処理を行っていて、それを避けるルートをまた探して、人生の目的地に着くよう舵を取っている、と。
そう考えられなくもない。
つまりは、車のナビのように、道を間違えばルート検索をして新たな道を探し、目的地に到着する感じですね。
自分の嫌なことを避けて着く目的地ですから、そこは我慢のない、自分らしく生きられる世界です。
ただ、ゴールである目的地はセットしないといけませんけどね。
普通は我慢して頑張っちゃいますから、そこで立ち止まったり、何とかしようと思ったり、停滞してしまいます。
我慢のない道を進むのは、慣れていない方にとってはとっても非常識に見えて、通用しない考え方に見えることでしょう。
しかし、自分の人生は自分でコントロールする。
いかに自分らしく生きることができたかが、人生の満足度につながるんじゃないでしょうかね?
自分が死を迎えるときに、
『あー、いい人生だった・・・』
と思えるのは、我慢して周囲に合わせる人生でしょうか?
それとも、大多数からは外れるけれど、自分の感情を他人や周囲に支配させず、自分の人生は自分でコントロールする人生でしょうか?
自分の感情に素直に考えることも必要で、ここは学ぶべきかもと考えましたよ^^
はじめてコメントさせいただきます。
毎日ブログの更新を楽しみに読ませてもらってます。
不登校の息子のこと、自分の感情に素直…なんて思ったことありませんでした!
うちの場合、いじめも原因の1つなので、必死で自己防御している(いわば逃げている)くらいにしか思っていませんでした。
確かに私自身、我慢するのが当たり前で育ってきましたし、今もそうです。
長々とすみません。
本当に価値のある内容だったので、嬉しかったです。
みかりんさん
はじめまして。こんばんは。
ご訪問ありがとうございます。
すごく嬉しいです、そう言っていただけると・・・
私もいろんな感情を経てきて今があるので、
自分の葛藤やそこから得たものや時には息子本人の素直な感情をお伝えすることで、
少しでもヒントになればの思いでいるんです。
感情の言語化がまだまだうまくできないところもあるんですが、
書きながら、わかりやすく、不登校の母親のモヤモヤする心を代弁できたらいいなって。
スーッと理解できる表現を目指していきますので、
これからも訪問いただけたら嬉しいです!
コメントありがとうございました!!