息子の高校の友人たちを見ていると、
『何でこの子がここにいるんだろう?』
『普通高校でもやっていけるのでは?』
と思えるくらいに毎日通学している子もいます。
受験に専念するために敢えて通信制高校を選択する子もいるにはいますが、そうでもなさそう・・
その子は小学校から学校に通えなくて、不登校支援の適応指導センター(フリースクールみたいなもの)にずっと通っていたんですね。
学校は通えないけど、適応指導センターなら通える、そんな感じです。
こうしてみていると、学校に行けないからといって、『不登校』では片付けられないように思うんです。
息子の話では、その子は教師を目指して、受験勉強中らしいです。
学校に行けない子が教師を目指しているんです。
きっと、彼の心の中には、学校に対し、
『こんな対応をしてくれたら・・・』
『こんな先生がいたらいいのに・・・』
そんな思いがあるのかな?
自分が学校で得られなかったものを、自分が果たすことで同じように悩んだ子供たちを助けていく、そんな使命を感じているのかもしれません。
学校に通えないという、ただその事実だけで不登校と片付けられてしまうのが、残念ながら今の現状でもありますね。
でも、その子一人一人をみれば、現実としての学校と自分の理想とする学校の違いをよくわかっている、そんな気もします。
登校できる子はその現実が普通で、学校とはそういうものという『学校のシステム』を疑うこともしないでしょう。
でも、不登校の子はきちんと感じています。
ただ、不登校の子供が言葉を発すると、親や大人から、自分勝手なわがままな言い分や言い訳に聞こえてしまって、そんなのは世の中で通用しないぞ!で、はねつけられたことも多かったと思うんです。
そして、言ってもわかってもらえない・・・段々とそう思うようになり、口を閉ざしてしまうんですね。
これ、私のモロ経験を話していて、反省点からの教訓でもあるんですが、
不登校の子供の言葉に真摯に耳を傾けることが、教育の在り方を考えさせることにもなり、21世型のよりよい教育システムにつながるのではと、何とも生意気な壮大な考えも持ってしまうんですよ。
例えば、飲食店をやっていて、お客様からのクレームがあったら、それを反省し、二度と起こさないようにしますよね。
そのことに気付けたことで、より一層お客様に愛されるお店になることも普通にあるわけで。
学校は難しいですね。
でも、せめて親や近しい人は聴いていた方が良いです。
ポイントは自分の考えは一旦横に置いて、ですけど笑
そこで自分の考えや親としての言い分を言ってしまうと、損をします。
子供の学校に対する不満や改善が、直接学校生活に生かされることはないですけど、それを応用して別な分野で生かすことは可能なので。
ここにお得感を感じるくらいに発想を切り替えちゃいましょう。
今、こうして書いていて思ったことは、不登校は障害物競争みたいなものですね。
障害物競争はゲームです。
コツをつかんで、ずるさも身につけて、ゴールすること^^
楽しみながらゴールすることを忘れたくないですね。