最近特に思うことがあります。
それは、母親って本当にすごいなあということ。
どんどん高い視点を持つようになって、尚且つ、子供の不登校での自分の在り方を確立させていっている方が多いですよね。
皮肉なんだけど、お子さんは相変わらず通えていませんが・・・というお母さん方がその傾向が強いように思います。
言ってしまえば、私が一番の落伍者なんですよ。
息子は小学校すらまともに通うこともできず、保健室登校、サポートルーム登校、中学校は学校自体がダメな上に環境も合わなくて3年間で出席日数は遅刻していった1日のみ(通知票で確認しました)。
中学時代は途中フリースクールに通うことをしましたが、結局は行けなくなりました。
高校は通信制のサポート校だったので、通えた日数としては一番多かったと思いますが、それでも、まともに通えたのは1年目くらいという有様です。
そんな私がここで何を言っても説得力などありません。
私は不登校だった子供を復学させました!と、書けたらいいのに、書けないんですよね。
息子も両親譲りの頑固者のところがあって、自分が「嫌だ!」となったら、てこでも動かない。学校に行きません(>_<)
登校させようとしてうまくいかないと、それが自分に倍くらいになって返ってくるんですよね。私は、それに耐えるほど強くはなかったんですよ。
学校という存在にはホント完敗でした。
でも、私達親子に限っては、これで良かった・・・と思っています。
学校に行かずに自立するには・・ということ考えることができましたから。
親にしたら学校に行って、就職して、は一番ホッとするルートではあります。私も今でもこの思いはあります。
息子がもっと精神的に成長して行けば適応可能かもしれまんが、ルールとか皆一緒にというものに激しく拒絶反応が出るのは息子の根っこにある要素なんですよね。そこは矯正できない部分なのです。
そして、良いのか悪いのか、息子の場合はそこで頑張ろうと思わず、一目散に逃げるんですよね(笑)
私達世代からすると、このような子は、「我慢が足りない!甘えている!なめている!そんな状態では通用しない!」となって当然の子。
実際、私自身このように思ったことが何度もありました。
でも、本人にしたらそれが苦しい・・・んですよね。
なので、結果として「自分でやるしかないな!」となって、学校に行かせる目標から「学校に行けなくても自立できるようにする」に目標をシフトすることになったのです。
厳しいことも不利なこともわかっています。
でも、生きる手段は身につけさせておかないと困るのは子供本人です。
目標が変わると視点が変わるんですよね。
私の中であった変化として、個人でやっている方の仕事は必ず否定せずに可能性の中に入れるようになったということがあります。
息子の得意とすることがどんな職業に結びつくことになるのか、あるいは職業と職業を組み合わせて何か新しいことができないか、そんな視点を持つようになって、何ていうのかな、視界が広がったんですよね。限界がなくなったとも言えますね。
これで私は楽になりました。
私の読者さんのほとんどはお子さんが復学できていない方と想像しています。
でも、母親として、人としてのレベルは本当に高いと感じています。
不登校のことを一生懸命勉強して、自分なりに母親としてどう振る舞うかを探し出し、自分の考えを整理する能力も身につけて、お子さんにとっては最高のカウンセラーになっています。
あなたはもしかしたら気づいていないかもしれませんが、私はいただくメールの返信内容でその変化が感じ取れるんですよ。
もっともっと自信を持っていただきたいですね。
こういったことは、なかなか自分だと気づけないと思いませんか?
私も、○○さん(私のことね)が書いているようにとか、○○さんが考えるようにとか、このような文面のメールをいただき、読むことで「あ、私ってそうなんだ〜」と客観的に確認することもあるんですよ。
信じられないかもしれないけど、これは本当です。
自分のことはわからず、対話なりで確認できるものなんですよね。
だから、私たちは鏡みたいなものです^^
お互い気付きを与えうる存在なのです。
子供が不登校で復学できないのは悲しくて、私のように我が家は落伍者と思っている方も中にはいるかもしれません。
一見落伍者のように見えても、私が見る限り、あなたの人としての成長曲線はグンと伸びています。
子供を登校させられなかった・・と自分を責めないでくださいね。
登校できなくても自立させることができた母親になってください!
その過程の中でお子さんが登校できたら万々歳です。