外は雨。
冬に差しかかる時期の雨は、寒さも感じさせますね。
雨は嫌いという人は多いけど、恵みの雨とも言う言葉があるとおり、感謝して喜ぶこともできます。
どんな状態でも、喜べるのが良い心の状態ですね。
幸せとは外にあるものではなくて、自分の中にあるもの。
この言葉は記憶に残った言葉ではあったけど、その意味を知ることはなかなか笑
初めは嫌悪の思いで聞いていたっけ笑
子供が学校に行かないから、私がこんな気持ちでいるんじゃない?学校に行けば、今よりは良くなるに決まってるよ、と。
何も気持ちがわかってないな、と文句を言いたくなり、どこまでも自分中心笑
もしかしたら同じ気持ちの方もいらっしゃるかもしれないですね。
今あるものに感謝する
今を生きる
今を意識しようと努力しても、将来の不安は襲ってきて、今を楽しむことはできないんですよね。
幸せというものには、つかみどころがないものです。
幸せだと思って毎日を過ごしていても、突然、自然災害に巻き込まれることもあります。理不尽なことが降りかかることだってありえます。
どうしても外的なことに振り回される、その中でどうやって幸せという心の感情を保てるのか?
私は疑問でした。
でも、赤ちゃんや小さな子供たちは、ニコニコ毎日を楽しく過ごしています。
今を楽しんでいるんですね。
今を楽しむ子供達の楽しそうな姿は、私たち大人の笑みをも引き出します。
これが今を生きるということ。今を楽しむということ。
私達大人は生きているうちに、恐れや不安という感情を身につけ、それに囚われることも覚えていきます。
恐れや不安という感情を知っているから、今を幸せに集中できない。
だから、冷たいかもしれないけど、これは本人の問題でしかない。
本人の心の問題。
昨日より以前の過去を引きずって不幸とすることもできるし、新しい今日を明るく精一杯生きることもこともできる。
それはその人次第なのです。
たとえ望んだ状況でなかったとしても、同じ1日を生きるのならどっちがいいのだろう?
不登校を受け入れるのは、私にとってはなかなか大変なことでした。
そして、自分で不幸になるのもとても簡単でした。
どうしたら、不登校という不幸から脱出できるのか?
私はその答えを知りたかった。
心の変化は人それぞれですが、私は、心の底から、我が子がいて良かった・・・と思える瞬間に出会えるかどうかだと思っています。
我が子が本当に愛おしいと思える瞬間です。
・折り紙を作ってくれた
・手紙をくれた
・母の日にお花をプレゼントしてくれた
・体調が悪い時に料理をしてくれた
・灯油を持ってくれた
・笑顔を見せてくれた
・話してくれた
たった一つでいいんですよ。
その一瞬だけ、この子がいればいい、学校なんてどうでもいい、そう思える感覚を味わうことができるかどうか。
日常に子どもがいる喜びをかみしめることができれば、次の機会もまた訪れます。
感度の扉が開きましたからね。
残念ながら、登校して欲しいという執着がある限りは、脳にセットされたゴールは登校です。
登校へと導く方法を探すように働きます。
極端な言い方をすれば、今の存在の我が子より、登校できる我が子を愛しているということです。
言葉が難しいのですが、登校できないのもその子一部で、五体と同じなんですよね。
切り離したり、両立させたり、がそもそもできない。
子どもの五体と心はつながっていて我が子です。
登校できない我が子も受け入れて愛せれば、親の愛のステージが上がるわけですから、子供にも親の変化が伝わり、子供も変わっていくと思うんですね。
いや〜ほんと難しいや〜笑
また、わかりやすく適切な言葉で伝えることができるように努力します(⌒-⌒; )
今日はこのへんで。