お盆にも地方なりの風習があって、様々ですよね。
お盆期間中、毎日お墓参りにいくところもあるみたいですし。
私が子供の頃は、お坊さんがわざわざ家まで来て、お経をあげていましたが、今はお寺で檀家さんが集まって、供養をしてもらう形に変わってきています。
これも時代の流れに合わせてのこと。
車も各家庭にある状況ですし、女性も運転することが多くなりました。
私自身がそうですが、来ていただくよりは出向く方が正直気持ちは楽ですからね。
形は変わっても、先祖の供養という点は変わらないので、供養という気持ちを忘れずに、でも、形式ばらずに時代の流れにそって、柔軟に対応すればいいってことですね。
でも、どうなのかな?
核家族が増えて、あまりお盆の意味を、大切さも、夏休みの一貫と捉えている方も多いような気もするし、これは、年齢を問わず、自宅に仏壇がある家庭、仏壇がない家庭で意識が違うのかな?
私は、お盆、お彼岸、命日とお墓参りをすることで、心が落ち着きます。
というか、しないと落ち着かないんですよね。
これも染みついた習慣なのか、不思議です。
私があるのは先祖のおかげ。
両親がとても先祖を大切にしていたので、私も自然とそうなりました。
大切にするものって、人によって優先順位が異なります。
でも、大切にしたものが残ると聞いたことがあります。
自分が亡くなったときに、残っているものが自分が大切にしてきたもの。
家族を大切にしてきたのであれば、家族に看取られて旅立つことになるでしょう。
人を大切にしてきたのであれば、たくさんの人が悲しみ、お別れに来て下さるのでしょう。
お金を大切にしていたのであれば、遺産としてお金が残ります。
遺産は亡くなる本人は持っていけないと言いますが、お金を持てたことにことによる心の余裕や豊かさは持っていけますよね。
骨董品を大切にしていれば、骨董品が残りますし、
靴を大切にすれば、靴が残るんです。
じゃ、先祖を大切にすれば何が残る?何も残らないんじゃないか?
そう思えますよね。
私的には、先祖を大切にすることで、加護を得られ、護られて逝けるんだと思います。
目に見えないので、護られていると感じたことがある人だけが、信じられることかもしれませんけどね。
お盆は私にとっては、旅行とかに費やす時期ではなく、ご先祖様と過ごす時期。
静かに自宅で過ごしています。