今日は、これから年度末にかけて襲ってくるであろう感情について書こうと思います。
特に、卒業を控えた3年生のお母さんがそうですね。
1、2年生のお子さんのお母さんは、3年になった時に味わうかも?と準備のような気持ちで読んでいただけたらいいと思います。
不登校の子供を持っている親にとって、卒業式はとてもデリケートなイベントです。
年明けからは卒業式のことを考えるだけで、心の元気がなくなるんですよね。
なぜ、そうなってしまうのでしょう?
その感情の正体とは何なのでしょう?
ハッキリ言って、これはもうゴチャ混ぜの感情です(笑)
3年生は、式に出る出ないは別にしても、この立場は避けて通れない道。
これから卒業までの時期というのは、今までのいろんな思い出がフラッシュバックしてきて、涙が溢れてしまう時期なんですよね(T ^ T)
どのような感情かというと、私の経験で言えば、とにかく「悔しい」気持ちが強かったです。
悔しい気持ちかを改めて言語化すると、
- 我が子が学校に通えなかったことで、他の子と同じ距離で喜んだり、思い出を振り返ったりできない悔しさ
- 通えなかったことで、周りからアレコレ言われたり、アレコレ思われたりした悔しさ
- 不登校の理解に乏しい先生が取ってきた、保護者にとっては非人間的にも思える態度に対する悔しさ
これが主なものです。
反対に、心を寄せて下さった先生には今でも強く私の中で印象に残っていて、今でも感謝の気持ちでいっぱいになります。
今後もこれは変わらないでしょうね。
あなたが今、どんな感情を抱いているかはあなたの性格にもよるでしょうし、私と同じではない可能性も高いと思います。
悔しさだったり、怒りだったり、悲しみだったり、ね。
それぞれ異なるとはいえ、これから年度末にかけて、これらの感情がわーっと湧いてくるのがこの時期の特徴でしょう。
ただ、この感情を感じ尽くした後にどうすればいいのか?という対処法は、私はあると思っているんですよ。
息子の不登校も許せて、
アレコレ言われることやアレコレ思われることもどうでもよくなって、
怒りさえも感じた先生の態度を許せる自分にもなれて、
そんな方法はどんなもの???
ここで、私がこの溢れ出る感情をどのように処理してきたのかについてお伝えしようと思います。
私の場合、「見返してやる!」という悔しさから来るモチベーションもあるにはあったけど、冷静に考えて、それは自分にプラスにはならないという結論になったので捨てました。
私の中で意外としぶとく残った感情というのは、人に対する怒りでしたね。
息子の不登校そのものより、これは強かったです。
確かに私達親子は、学校側にとってはお荷物的存在だったかもしれない。
けど、子供はまだ学生で、未来ある存在なんですよ。
通えない子=ダメな子では決してないのです。
その子が持つ希望のような火を、一方的にもみ消すような行為をすることが教育者のすること??
そんな思いが強かったんですね。
今はこうした感情は卒業しているのでサラリと感情の乱れもなく書けますけど、どのようにしてここまで至ったか?
一つは、私がもし教師だったら同じ態度を取っていた可能性があったかも、と考えたことにあります。
不登校の母を経験したからこそ、不登校の親の気持ちは味わえたけど、経験していなかったら私も、不登校親子は面倒くさい、厄介、と思う気持ちはあったはず。
その子のこと、その子の親のこと、今ほどわかってあげられなかったと思うのです。
だから、その先生もまだ経験不足のところもあって、これから経験するかもしれないし、もし心ある方だったなら、あの時はわかってあげられなかったな・・・と振り返ることもあると思うんですよ。
自分がしていたかもしれない!と思うことで、少しずつ心は落ち着きました。
それとね、
私が嫌いな感情を持ち続けたところで、相手は新しい生徒さんを迎え入れて生活し、我が子のことはもう過去の出来事になるんですよね。
私達親子のことを考えることもなくなります。
それなのに、自分が負の感情を持ち続けるのはなんか虚しいですよね。
私が悔しかったから、見返すために息子に頑張れ!と促すのは、息子の応援のように見えて、これは私のエゴでもあり、純粋な応援にはならないとも思えました。
更に、よーく考えてみれば、
一番の目的は、息子が立派に大人になることで相手を見返すことではないんですよね。
もっと言えば、本当は嫌な相手から離れられて良かったはずなのに、嫌いな相手への対抗心から嫌いな相手を思い出すことをしているんですよ。
せっかく離れることができたのに、どうしてまた取り込む必要があるの?
と思ったのです。
私はそう思えた途端、すごくアホらしくなり、手離すことができました。
こうして、一つ一つ感情を拾い、向き合い、考えて、処理をしていったのです。
つまり、私が思う感情を手放すコツは、自分の脳が納得する理由を見つけること!でした。
これは私が行き着いた考え方であって、あなたに当てはまるとは限りません。
ただ、感情を克服するコツがあるとすれば、自分の脳が納得する理由を見つけてみることだと思います。
これは、あなたにしかわからないことで、人からアドバイスを聞いたり、私のこの文章を読んだりに違和感を感じるのなら、それはあなたの方法ではありません。
自分の感覚を無視しないでくださいね。
人からのアドバイスで納得できればOKですが、納得できないのならあなたには別の方法があるはずです。
どう考えれば自分も子供も得か?
どう考えれば自分が納得できるのか?
ある意味知恵比べみたいなものですね。
脳が納得すれば、もうそれは問題ではなくなるし、相手に対し本当に感情がなくなります。
これがきっとステージが上がった自分であって、成長と言えるもので、どんな問題にも対処できる解決方法なのかなと私は思います。
これからの卒業式を迎える時期に、悲しい気持ちになったり、悔しい気持ちになったり、怒りを感じたりした時にぜひ思い出していただけたら嬉しく思います。
こんにちは 約一年前 中学校を卒業しました。書かれているとおりですね。私は 大嫌いな中学から 縁がきれるので うれしかったですね。大嫌いな校長と縁が切れるのがうれしかった(不登校の原因は 悪いが家庭にもあると 言われましたよ あんたに 言われたくないよ )今は、中学のことはほとんど思い出さないですね。良かった 思い出さない私で。不登校の親は みんな同じ思いをしています。話したこともないし 顔も知らないけど 同志ですね 一人ではないですね 息子は 通信高校に 進学しましたが 行っていないです。でも 通信高校の先生は いい先生で 同じ”生先”でも中学の先生とは全然違います。先生 というのは 大嫌いでしたが 少し アレルギーがなくなったと思います もし 高校を辞めることになっても 先生に恨みとかは 無いですね 今までありがとうございました て感じかな。
子供に対しては 今も イライラしたり 変な態度をとったり ひどいことを言ってしまうこともあります。ただ 私は 結婚 出産をしないだろう と思っていたので 思いかけず 私を お母さんにしてくれた 子供には 感謝です。経験しないと思っていた経験を させてもらっています
これからも いろいろな 不登校に関する 意見を聞かせてください。
まゆみさん
コメントありがとうございます。
返信が遅くなり申し訳ありませんでした。
うん、うん、同じだな、と頷きながら読ませていただきました。
なかなか処理が難しい感情で、これは経験した者にしかわからないものかもしれませんね。
不登校という現実に向き合うのは辛いことですが、この経験は母親の人生観をも変えうるものです。
原因である不登校をなんとかしようとする→うまくいかないことで次の手を考えたり、母親の考えが変わってくる
→自分の捉え方が増えてくることで、自分の心が広がる→行けなくても大丈夫と思える
私はこんな感じでした。
子供が不登校でなかったら、今のような心の持ち方はできていないでしょうし、
ロボットのように当たり前と言われることを着々とやる人生を送っていたように思います。
息子の不登校は私に心の豊かさを与えてくれました!
全く違う人生を与えてくれたように思います。
メッセージ、ありがとうございました。