不登校の子供を持つ親は、かつては登校して当たり前、そう思っていたのではないでしょうか?
息子の運動神経に期待し、運動会ではヒーローになる姿を想像していた、かつての私のように。
当たり前が当たり前じゃなくなったとき、当たり前があったことに気付く。
そう、自分にとっての当たり前は、自分にとっては自然なことだし、苦も無くできることだし、それができない人にとっての当たり前とは気付きにくいのです。
でも、それに気付けたときからは、今までの当たり前を当たり前と見なくなります。
そして、その当たり前と思っていたことに感謝できるようになります。
これは機会を与えられたということ。
今まで見えていなかったものが見えるようになったということです。
わかりやすい例は、健康を失って健康のありがたさを知る、でしょう。
これは誰でも感じることですが、一過性のものだと継続は難しく、その感謝を忘れてしまいます。
しかし、慢性病を抱えていたとしたらどうでしょうか。
世の中には、動きたくても怠くて起き上がれない、慢性の頭痛で家から出られない、調子のよい日の方が少ない・・・という人もいて、
『どうしてみんなは元気に動けるんだろう??』
と不思議に思っているかもしれないのです。
でも、健康な人に限って、お酒やたばこを口にしたり、食生活も乱れていたり、徹夜をしたり、そういうものなんですよね。
おそらくこういう人達は、当たり前の大切さに気付けていません。
健康食品会社で働く私の友人は、健康体で体調が悪くなるということは少なく、健康に関する悩みはなかったと言います。
しかし、健康食品会社に勤めたことで、お客さまの不調を目の当たりにするようになりました。
お客さまの痛みや苦痛を感じる話を聞き、自分の勧めるサプリメントでお客様の体調が緩和され、
効き目があったと嬉しそうに報告をしてくださるのが、何より嬉しい、
そして、今までこんなことを感じないで来たけど、こんなに苦しんでいる人がいたんだって気付けた、
と話してくれました。
私はこの話を聴いて、自分にとっての当たり前が他の人にとっては当たり前じゃない。
このことに気付くと、人としてのステージが変わるな・・って思ったんです。
失礼かもしれないけど、対局を見ることで自分が恵まれていることに気付けます。そして、気付くことで、相手の痛みを知ることにもなります。
相手と同じ痛みを知ることは、同じ経験をした人にしかわからないけれど、辛いだろうな・・という抱えている気持ちを察することはできるようになりますよね。
人間の幅が広がっていると思います。
不登校に関しても、通えている子の親の方にしたら、まだまだ『ふ~ん』という反応の方が多いです。
興味がないからなのか、どう対応したらいいのかわからないからなのか、避けるように別の話題に切り替える方も現にいました。
これは、まだ、自分の当たり前に気付けていなくて、その当たり前を経験できない痛みに気付いていないんでしょうね。
普通に登校できている子のお母さんの中には、心ある方も多数いると思います。
『自分の子は通えてよかったぁ』そう心の中で思ってくれてもいいから、
通えないでいる子供の気持ち、毎日接するお母さんの気持ち、
こういったところに目を向けられるようになったら、人間がより豊かになって素敵になると思いますよ。
私の目線はあくまでも、通えずにいるお子さんを抱えて苦しんでいるお母さんに対してですが、通えているお母さんにも気付いて欲しいことばかりです。
不登校から学べることは本当に多いです。
心の感度が高い、通えている子のお母さん方にも読んでいただけたら嬉しいですね^^