私の中にある幼稚園のときの記憶です。
幼稚園に行きたくなくて、泣き喚いたことがありました。
その時は父が私を抱きかかえて私を幼稚園に連れていき、嫌がる私を園長先生に預け、逃げるように帰っていきました。
これが当時の幼稚園の先生の指導方法だったんですね。
もしかしたら、あなたも似たような経験があったかもしれません。
園長先生は怖いイメージしかありませんでしたけど、今思えば、自分の信念をしっかり持ち、子供の教育にあたっていたんだろうなと思い出しています。
そして、私も悲しかったけど、父も悲しかったんだよね、きっとTT。
園長先生も悪役を引き受けて、心の中では「ごめんね。でも、頑張れ!」とエールを送っていてくれたのかもしれません。
「何でこんなひどいことをするの?」と思い出すこともあるけど、よくよく考えを深めていくと、これも自分のことしか考えていない思いなんですよね。
それを今頃になって気付くというね。
自分の悲しかった思いだけがワーッと出て来て、父がどう思っていたか、園長先生はどう思っていたか、考えるところまでいっていなかったのです。
自分を大切に、自分中心で考えるのも、とっても必要なことですよ。
でも、接する相手も自分と同じ人間です。相手だって自分を大切にしたい、と思う気持ちがあっていい。
相手の立場に立つ!という行動を取れるかは、教育の一つなんですよね。私はそう思っています。
自分の無意識が出てしまうというのはよくあって、言われないと気付けないことも多いもの。だから、できるまで言われ続けることも必要なんですね。
車の運転はいい例だと思いますよ。
タクシーに乗った時、バスになった時、「このドライバーさん、運転が荒いな」と思うときはありませんか?
これも自分の意識で運転しているからですよね。
ブレーキのタイミングも人によって違うし、早めに減速をかける方なら、タイミングの遅い方の運転に、右足でブレーキを踏む動作をしていたりということもありますね(笑)
身体にも力がは入っていることもあります。
主人と私も二人で乗ると、よく注意し合います(笑)
主人は、止まる!走る!がハッキリしている運転で酔うし、私は、車が少ないとスピードを出してしまう癖があり、ここは高速ではないぞ!と言われます。
誰かを乗せて運転するときもそれが出てしまうんですよね。これって、普通といえば普通で流してしまうこともできるけど、誰かを乗せていたら本当は相手を思う意識を入れて、相手が安心する運転を心がけた方が良いんですよね。
これもまぁ、私にとっては、相手の立場に立つトレーニングです。
自分ってホント自我まみれだな・・って思いますよ(笑)
とは言っても、相手の立場に立つというのはなかなか難しい。
これはね、意識しないとできないことだとも思います。
コトバとして出されたものや目に見える表情だけで不快になるのは誰でもできる。
でも、そのコトバや表情の裏にも相手の「心」までくみ取る人は少ない。
意識するだけで見えてくるものがそこにはあって、その意識が子供の見えない心を見る想像力を育てることにつながります。
これは、私の経験から言えることですね。