内的なモチベーションと外的なモチベーション。
内的な評価と外的な評価。
あなたはどちらを好むでしょうか?
学校や組織社会は外的なものに支えられていると私は思っています。
良い成績をとること。
人から褒められること。
これらはすべて外からの評価です。
通信票の評価が○○だったら、テストの評価が○○だったら、○○をご褒美としてあげるね。
これは、完全に外的な評価ですよね。
一旦はそれがモチベーションアップにつながりますが、一度味わってしまうと、もう一度褒められたい!という気持ちも起こさせます。
これは、麻薬に近いですね。
つまり、人参がないと動けない人間になる、ということ。
褒められて嬉しいのは、あなたもそうでしょ^^
でも、いつまでも褒めてもらえるわけではないですよね。大人になるにつれて、褒められる機会は減っていきますよね。
さらに、褒められることをモチベーションに動いていると、褒められなくなった時にそれが不満となり、
『こんなに頑張っているのに誰も褒めてくれない・・・』
という状態になりかねません。
外的な評価というのは、やる気にさせるような面もある一方、思うように評価されなかったときは、モチベーションを保てなくなるという怖い一面があるのです。
これは、相手がつける成績、評価を基準にしているからですよね。
一方、内的なモチベーションとは、『もっと知りたい!』という好奇心や自分で達成感を味わいたいという意欲など、自分でやる気を作りだすモチベーションです。
だから、他人がどう言おうと、どう評価しようと一切関係ない。
評価は自分がするのです。
他人の評価に頼らないのが、この内的モチベーションです。
学校にいれば評価はつきもの。会社員も営業成績や人事考課による評価があります。
成績が○○番以内に入ったら、○○高校、○○大学に合格したら、通信票の評価が○○だったらetc
良い子で真面目な子ほど、この親が掲げた目標を達成しようと頑張るでしょう!
達成できれば、親も嬉しい!子供も嬉しい!
お互いが嬉しくて何が悪いの?そう思うかもしれませんが、長期的に見たら、他の人の評価で動く人間になってしまう可能性がありますよ、と言いたいのです。
自分自身のモチベーションは、自分自身で作った目標であるべき。
自分で克服できそうな目標を自分で掲げ、それに挑戦すべき。
私はこう考えます。
不登校の学校での評価は冷たいし、厳しいです。
現実を突きつける事で奮闘を促す教師の愛でもあるのかもしれませんが、私は嫌でしたね。
1が並んでいる通信票を本人の目の前で説明するんですよ。
それは、親だけでいいでしょう<(`^´)>
うちの息子は、幸い、学校嫌い、先生嫌いで、全く気にならなかったようですが、私は正直イラッとしました。
中学3年間で数字で評価をした先生が2人。評価できませんでした、と敢えて数字の評価をしなかった先生が1人。
息子の中では、この評価をしなかった先生が、好きな先生として記憶に残っているようです。
学校に行かないと評価は最低のものとなるのが現実です。不登校の子供たちは、それを分かっています。だから、外からの評価に頼ろうとはしないでしょう。
未熟で、まだまだ成長過程の心、精神でもって、自分で目標を掲げ、躓きながらも頑張っているのだと思います。
不登校の子供たちが選んだ道は、確かに困難も多くて、厳しい。
でも、自分で内的モチベーションを保って行動し、他人の評価ではなく、自分で内的な評価をしていくことを育めるという点ではプラスだと思うのです。
子供が自分自身の意志で選択し、その選択に自分が全責任を持つ。
子供たちは不登校を通じて、知らずに訓練しているのだと思います。