サイトアイコン 【大丈夫!不登校】ブログ~母の日誌

不登校に対する主人と私の考え方の違い

 

今日は、主人と私との考え方の違いについて書こうと思います。

 

もしかしたら、読んでいて嫌な気分になるかもしれません。

その時は読むのを即座にやめて、気持ちが明るくなることをしてくださいね。

 

まず、主人と私との大きな違いとして、息子と接する時間が挙げられます。

 

息子は生後間もなくから喘息にかかって入退院を繰り返しており、入院中は24時間付きっきりでした。

幼稚園も休みがちで、ほとんどがお家生活。

不登校が始まってからは自宅で一緒に過ごしていたので、他のご家庭のお母さんと比べても、私が息子と一緒にいる時間は長いですよね。

ほぼ365日、24時間に近い時間を私は息子と一緒に過ごしていたわけです。

 

これだけ接していると、主人とは比べものにならないくらいの息子の情報量が私にはあります。

主人が気付いていない息子の性質だったり、息子の考えや発想に私がハッとする機会だったりですね。

 

ここで、私が育った環境に少し触れておきますが、私はかなり古い、お固い考え方を持つ人間だったんですよ。

明治生まれの祖父母と一緒に生活していましたし、父は準公務員に近い職業についていましたしね。

古い昭和の家庭を思い浮かべていただければいいと思います。

父がちゃぶ台をひっくり返すようなことはありませんでしたが、夕食の準備時に母親がいないと、決まって『いつまでほっつき歩いてんだ!!』と怒っていましたからね。

母は出かけていてもゆっくり楽しめていなかったでしょう。

自由のない、我慢の環境だったと思います。

 

その中で育てられた私です。

 

どのように厳格に育てられ、どのような道徳観念を刷り込まれてきたか、だいたい想像できるのではないでしょうか?

 

主人は私より10歳近く年上ですが、核家族だったこともあり、生活習慣も私に比べたらかなりゆるい環境で育っています。

 

話を戻しますね。

何が言いたいかというと、元々は、主人より私の方が、育児に関しては厳格さを求める土台が作られる環境で育った、ということです。

 

そんな固い私がですね、息子と接するうちに段々と考え方が変わっていったんですよ。

そして、今までの自分の考え方に逆に疑問符がつくようになっていきました。

 

主人は息子の不登校を隠す姿勢を取っています。

両親にはもちろんのこと、兄妹、友人、同僚にも一切話しません。

 

私はというと、こうしてブログで書いているくらいですから、隠すつもりは一切ないのです。

むしろ、今悩んでいる方の参考になればと、積極的に自分の恥ずかしい反省すべき過去も書くつもりでいます。

 

私が人に話してしまうことに関して怒られることもしばしばあるのですが、私はやめません(笑)

 

なぜなら、ここには新たに生まれた私の信念があるからです。

その信念とは、

『息子がしていることを親が隠す行為をしたら、このことを息子がどう受け止めるか?』

ということです。

 

親が人に言えないような、子供の行動を隠すような態度を取ったら、子供は『僕は親が人に言えないことをしているんだな・・』と、そんな風に思ってはしまわないでしょうか?

親の態度や表情が子供を傷つけることにはならないでしょうか?

 

義務教育を通えないのですから、悪いことなのかもしれませんよ。

でも、息子も私も人に言えないような恥ずかしい生き方はしていないし、他の人にどう映るかわかりませんが、恥ずかしいとは思っていないんですよ。

不登校を武器にさえする生き方を、これから歩もうと思っているのです。

 

息子が不登校でなかったら、私は厳格な家庭環境で培われた固い信念を持って、人生を生きていたかもしれません。

しかし、今までの観念という箱から出ることができた私には、今までいた、その小さな箱の世界を俯瞰して見ることができるのです。

 

不登校を解消しようとするのは親心ですよね。

でもその中に、自分のエゴが隠されていることに気づいている人はどれだけいるでしょうか?

子供が学校に通えれば『安心』、そういう考えがないと言えるでしょうか?

 

不登校の改善がみられるのは、親の心が変わったときです。

それがその子の復学という形で現れることもあれば、私の息子のように行かない選択として現れることもあるでしょう。

 

どちらにせよ、親が心理的なハードルを越えているのであれば、子供がどちらの選択をしようと納得できるので、周囲の目など気にならなくなるんですよ。

その選択は、信じている我が子の選択であり、我が子が自分で道を拓く自らの決断ですからね。

 

親も未熟です。

狭い視野でしか物事を考えられないこともたくさんあります。

それは本人が決して悪いわけではなく、育った環境だったり、両親の教育方針だったり、本人の考えより多くの時間を共にした周囲の声に支配されていることが多いんですよね。

これが、自分の気付かないところで根付いて、自分の考えのように思っているのです。

 

ですから、腹が立つこともありますが、自分と異なる人の意見に耳に傾けることが大切だと思います。

自分の成長のレベルでもって、受け入れられる、受け入れられない、というのはあると思いますが、必要ならば何度もそういう経験は訪れるので、気楽に向き合っていけば良いと私は思っています。

 

自分の受け入れレベルが上がったときに聞ければ、ストンと入りますから^^

 

不登校は苦しいけど、決して不幸な出来事ではありません。

考え方を広げることができたり、自分の成長にもつながります。

 

辛くて苦しい道のりかもしれないけど、「あー、よかった!」そう思える時がきっと来るはずです。

 

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