赤本の国語の評論文問題で、うん、そうだよねって思ったことがあったので、今日はそれについて書きますね。
それは、健康に関するものでした。
1950年代後半、日本での主要死因は結核でしたが、その後、慢性疾患である脳血管神経、心疾患、癌に変化してきています。
日本が経済成長を遂げ、豊かな社会になるにつれて、人々は健康に不安を感じるようになってもきています。
あなたも、同じように感じているかもしれませんね。
医療の進歩も凄まじく、今では早期発見、早期治療は当たり前になっていて、さらに、分子レベル、遺伝子レベルでも異常の発見ができるようになってきていますよね。
アンジェリーナ・ジョリーが、遺伝子の変異から癌になる確率が87%と言われ、乳癌予防のために両乳腺を切除した、という話がありましたよね?
私にとっては、かなり衝撃的なニュースでした。
というのも、こういった研究の結果を凄いとも思えた一方で、怖い、とも思ったからなんですね。
今は何でもない状態なのに、未来の健康状態を科学的に数字で提示されてしまう。
私にとっては不安を大きくするものであって、ちょっと受け入れ難いです。
赤本の評論文の出題者が言っているのは、
まさにこのことでした。
自分の危険因子を探して、その異常を排除する動きが大きくなっていくことは、人の心に決して安心をもたらさない。
その中で失うものがある、と。
それは、
生きる意味であり、自分がやりたいこと、大切にしたいことを成し遂げようとする意欲や力だ、と言っています。
病気を避けて、異常のない生活を大切にするあまり、自分のやりたいことを捨ててしまう。
そうするともっと大きな不幸を招くよ、というのが、筆者の主張です。
反対に、病気を持っていても生きる意味をもってその実現を目指している人もいますね。
その人は健康と言えるんだよ、と。
この文章題を読んだだけでも、解いた価値はありました。
赤本を解くことがなければ、目にすることさえなかった文章ですからね。
この文章が私の心に残るということは、私に対しての警告でもあるんですね。
一つのことを掘っていくのは悪いことではないけれど、それに支配されてしまっては、自分の人生を生きることはできず、気付いた時は歳をとっていた・・・こんな現象が事実として起こります。
これでは悲しいと私は思うのです。
健康は大事だけど、バランスよく生きないと心の充足感は得られないですよね。
これは健康だけに限ったことではなくて、一つのことしか見えなくなった時にも起こりえます。
不登校もそうだと思いますよ。
自分の心を苦しめて、自分の健康状態にまで影響を与えることをして・・・
あなたには経験がありませんか?
私は何度も経験してます。
でもね〜、自分をそんな状態に追い込んでも、なーんも変わらないんです笑
その執着が剥がれ落ちるとホント嘘みたいに楽になりますし、視野も広がることにも気付けましたよ。
健康や自分のこだわりを気にして自分のやりたいことを放棄する人生。
病気はあっても自分のやりたいことをやる人生。
あなたはどちらの人生を選びますか?
どちらがあなたの人生と言えますか?