今、私がパソコンに向かって文章を打っているこの状況、今日はいつもと違います。
どういう状況かというと、息子が向かい側にいて、息子もパソコンでレポート作成中。
私の方が軽い作業ですけどね。こんな感じもなんとなく嬉しくて、書いてみました。
さて、本題。
今では息子との生活を私自身が楽しみながら送っていますけど、昨年までは不安だらけでした。
- 大学に受かることができるのだろうか?
- 受かったとして通うことができるのだろうか?
- 通えずに8年間在籍することになるのだろうか?
- 一生引きこもって過ごすだろうか?
口には出さずとも時々一気に不安襲ってくる時がありましたね。
まぁ、たいていが自分が元気がないときです。
入学してみれば、休みつつ、文句を言いつつも、ほぼ毎日通っている息子がいるので、不安に思っただけ損したなぁ、と思うときもあります。
そして、次なる私の不安は、果たして働けるのだろうか・・というものですね。
これも、きっとそんなに心配しなくても良かったなぁ、と未来において振り返っているのかもしれません(笑)
今までのことを思うと、そうも思えて来て、ちょっとだけ心が軽くなります。
私達は、将来のことをネガティブに、悲観的に、考えすぎる傾向がある、ということを自覚した方が良いかもしれません。
気持ちは、わかりますよ。自分が経験した道だから本当にわかります。
我が家は復学できないどころか、まともに学校に行ったのは、18年間の中で1年くらい?で(笑)、このような状態で、大学、仕事・・・人と関わりを持ってやっていける?
これは、ずーっと私の頭のなかで渦巻いていたことでした。
こういう時に効果的なのは、最悪のケースを想定してみること。
ちなみに、私はこう想像しました。
私が生きているうちは私が面倒を見ればいい。私が死んだ後は、その後に定期的に入る収入を作って置いていけばいいじゃん、と。それで、最低限の生活レベルを保てるだろうし、仮に働けなくても生活はしていけるだろう、とね。
子供の自立のためには良くない考えだけど、現実問題として働けなかったらその対策を考えるしかなかった。
実際こう覚悟を決めると、大変だけど、不可能ではないな、と思えてきて、私自身がやるべきことが見えたのも事実でした。不安は薄れ、新たな自分の目標ができたのです。
不安というのは、しっかりと見つめて、対処方法を考えると薄れるもののようですよ。
で、この薄れた原因というのが、多分ね、息子にどうこうなって欲しいという願いから、自分の努力でできるものにシフトできたからなんですよね。
自分の中で覚悟を決めてしまえば、自分がやればいいだけになります。不安ではなくなります。こうしたことから私の発する雰囲気が変わったのかもしれず、息子に伝わっていたのかもとも想像しています。
将来のことを不安に思っても、それは文字通り将来にならないとわからない。
ただ一つ言えることは【今】【現在】していることが将来につながるということ。だから、将来のために何かをできるのは【今】【現在】しかないんですよ。
今、不安を積み重ねたら、不安の将来を作ってしまいます。
誰もそんなことを望む人はいないわけで、その不安をつくらないために【今】自分ができることは何でしょう?
そのできることというのも、自分レベルでできることで、子供を変えるというものではないということだったのだと今の私は思っています。
不安の対処の仕方にもイロイロあって、その人なりに合う合わないがあると思いますが、参考にしてみてくださいね♪