不登校という呼び名に関してコメントを下さった方々、どうもありがとうございました。
おそらく、コメントを積極的に下さる方の後方には、コメントをせずとも共感してくださっている方も複数いると思っています。
『うんうん^^』
今頷いているあなたですよ^^
『不登校』は便利な言葉かもしれませんけど、実際に学校に行けない子やそのお母さんにとっては、抵抗感のある、嫌な言葉であり、目にするのも、口にすることも避けたい言葉なんだと私もね、更に思いを強くしましたね。
どうもありがとうございました。
今日はですね、私のアイディアに乏しい脳内をお見せします^^
くだらない・・・、惜しい!!もっとまともなのを思いつかないんかい?
いろんなご意見がおありでしょうが、どう思って下ってもいいんですよー。
私が変なアイディアを提示することで、それがきっかけになって面白い発想が膨らめばいいなって思っているので^^
では、行きます!
私は、息子が学校に行かないのではなく、自主的に自宅で勉強をするという選択をしていると受け止めています。
ですから、
・息子は今日も笑顔でリビング登校
・我が家が学び舎
・学びが最高に楽しくなる親子塾
・今日の授業はガチンコボウリング
・我が家はセキュリティ万全!24時間自宅警備員常駐!
書いていて穴に入りたい・・・^^
でも、ここから真面目なお話。
考え方として、勉強の概念をちょっと引き上げてみればいいと思うのです。
勉強の中には、学校での勉強もあるし、塾での勉強もあるでしょう。自宅での復習も勉強なら、習い事やお稽古事も勉強です。
最近ではオンラインによる配信勉強もあって、家のお手伝いも勉強と言えます。
義務教育(これもきつい言葉だな~TT)という言葉があるとおり、子供は学校に行くことが求められ、多くの時間を学校で過ごすわけですから、
勉強=学校が常識として知れ渡っていますけど、学校の勉強は勉強の中のほんの一部なんですよ。
昨日の記事にも書きましたが、学校では優等生な主人であっても家事一切のことはわからない・・
でも、私としては、実際に一緒に生活をしていくなかでは、最低限のことができて、してくれた方が助かるし、安心なんです。
普段は仕事でいいんですよ。
でも、私の心が不安な時、息子の心が不安な時は、小さな心遣いがあったらどんなに嬉しくて、安らげるか、そういうところをわかって欲しいなと思うときがあるんですね。
学校に行けてなくても、こちらの方が家庭内が円満に保たれたのでは、とも思いますしね。
私達主婦もそうですが、専業主婦であれば、家事の評価なんてものは存在しなくて、しかも、無給です。
自由のように思われることもありますが、家族や子供、そして、家にいる子供がいると、病気にもなれないし、病気でも一日丸々寝込んでもいられないというのが本当のところですよね。
目に見えないものだったり、数字として評価されないものだったり、実は、こっちの方に人として、そして、生きていく上で大切なものがたくさんあるような気がします。
特に『心』はいい例ですね。
相手の心に寄り添い、思いやる、決して目に見えるものではなく、数字として評価されるものでもありません。
でも、人として信頼されるのは、学歴でもなく、こうした要素なのではないでしょうか?
それをね、自宅ででも育めれば、立派な教育なんだと思います。
日本の教育は、学歴、成績重視で、まだまだこの主義に洗脳されている人が多数を占めます。
学校に行っていれば安心、いい大学に行ければ安心、そう思っている人が多いです。
ですから、これがチャンスでもあると思っていただきたいのです。
学校の教育という勉強は欠けても、それ以外のことを身につけていけば、将来的には有利にも立てると思います。
学校に行けない子って、すごく相手の心に敏感ではないですか?
敏感ゆえに通えなくなることもあるけれど、これらのことができる人は、間違いなく人には好かれるし、信頼されるし、押し上げられる人になっていきます。
そんな人間磨きを家でやっていくのも、将来に活きる勉強ではないでしょうか?
なのでね、正直、お母さん方は悩んでいる暇はない^^
笑顔でお子さんを引っ張っていかないといけない。
子供に自信をつけさせてあげないといけない。
学校に通えていなくても生き抜ける子は最終的には強いんですよ!!
そう思いませんか?
学校で遅れを取った勉強は、本人が思い立てばいくらでも挽回できるのです。
今はその勉強過程が抜け落ちているだけ。
あまりここに焦点を合わせすぎないことです。
お母さんもいろんな嫌な思いもあっただろうし、経験や知識を積んで今を生きているんですから、
自分の経験知識を軽んじないでいただきたいです。
人生の先輩として教えられることはたくさんあるんですよ^^
なんか書いている私の方が、勇気が湧いてきた感じです!!
いつもありがとうございます!!