今日から大学の入試試験の息子です。
昨日はのんびり朝寝をして、ゲームをして、勉強をして、でも、早めに寝たのかな?
焦ることもなく、一夜漬け的に集中するわけでもなく、いつもと変わらずマイペースでした。
これが息子の強みかもしれませんね。
そして、カテキョーくんからは応援メールをいただき、ありがたいです。
カテキョーくんの感性もかなり面白い^^
文章ってその人全てを表現しているわけではないんですけど、その人らしさは強く出るものですよね。
私もここでつながったお母さんたちとメールを重ねていますが、会ったこともないのに、文章のリズムからその人となりがわかってくるから不思議です。
インターネットだから、文章だから、というのは関係なくて、文章もその方との対話です。相手の書いてくださる文章からその方の思いを読み取り、その思いを返していく丁寧なコミュニケーションの一つ。
インターネットがない時代は手紙であり、文通でした。
思いを感じる点では手書きの手紙には叶いませんけど、パソコンであれば長文も可能なので、よりコミュニケーションは深まると私は感じていますよ。
いただくメールは、毎回、唸ることばかり。
新しい気付きもあれば、その方独特の表現もあって、しかも文章構成がしっかりしてて、自分の思いを伝えてくれています。
文章の完成度が高いんですよね。
書くことで自分と向き合い整理できたかな?と、パソコン画面を見ながら私も対話をしています。
私の勝手な感じ方ですけど、不登校のお子さんを持つお母さんたちって、不登校の子を授かるだけの器と知恵が備わっていると、より一層思うようになりました。
それは、親としてどうしていくのかという自分との葛藤でもあるし、そのことが自分を成長させていきます。
文章を書くことで自分の中での整理も進んでいきます。
そして、表現能力も高まるにつれて、お子さん以外の方との対話もおそらく変化していく。
相手の心を感じ取るチカラが、知らず知らずに身についているような気がするんですね。
私の心の中では、母親として、人として、磨かれている、そう感じているんですよ。
そして、あなただからこそ、不登校の子供のお母さんとして選ばれた、あなたでよかった、と思うのです。
カテキョーくんのメールから話が逸れてしまいましたが(笑)、戻って終わりにしますね。
それは、私には初めての感覚で「カテキョーくんありがとー」な内容でした。
試験の内容も文章構成ですよね?カテキョーくん曰く、
試験も出題者との対話だそうです。
この言葉がきれいで、私の心に残りました。
ちょっと癖のあるひねた出題者もいれば、正統派の出題者もいます。
でも、そこに共通しているのは、出題者はどのような答えを求めているかということですよね。
問題そのものを読み取るのが難しいこともあって、答える前に問題の意味が分からない、難しい、ということも実際あります。
出題者性格悪いな~って思うこともありますよね?(笑)
そういう時は、何を伝えたいんだろうという自分との闘いををやめて、出題者の視点に立ってごらん、って書かれていました。
これが対話なんですね。
私にとっては、文章に向き合う心構えというか、ヒントをいただけてとてもありがたかったです。
本当は息子への応援メールなんですけどね。
学びがいっぱいの文章でした。
私も今日から『対話』という感覚を大切に持って、自分が読むのではなく、書いている方の相手に沿って読む、ということもしていきたい。
今日から実践していきたいと思います。