受験も終わって一段落といきたいところですが、20日頃までは私の予定は結構びっしり。
もうひと頑張りですね。
昨日は息子と一緒に高校に行って、挨拶を済ませてきました。
全国各地にキャンパスがある通信制高校なんですけど、息子が通っていたところはとても明るくオープンな雰囲気。
先生との距離感も近くて、先生と生徒の関係は歳の離れた友人のような感じです。
先生『試験の手ごたえはどうだったのよ?来年はどういう方向にするつもり?』
息子『東京の私立を視野に入れて、第一志望に据えようかなと思っています。』
先生『そっか。発表いつだっけ?』
息子『金曜日ですね。』
先生『結果さ、電話でいいから教えてよ。』
息子『嫌っす(笑)』
先生『じゃあ、こっちから電話するわ。』
息子『着信拒否します(笑)』
先生『じゃあ、家に電話してお母さんに聞くー。』
息子『家の電話、基本出ないんで・・・(笑)』
先生『じゃあ、自宅の前で待ってるかな』
息子『玄関開けないんで(笑)』
先生『じゃ、パパラッチになってやる。どちらに受かったんですか?予備校に行っていることは落ちたっていうことで良いんですか?ってマイクを向けるぞ(笑)』
会話はこんな感じです。
ちょっと、親としては冷や冷やしながら、隣で聞いていましたけどね。
今日は午前中に学校に行くという約束をしていて、でも、息子は11:20頃まで寝ている(笑)
お昼休みにずれ込んでも、○○先生の休憩時間が減るだけだから何も問題ない!って言うし(汗)
先生に対する態度としてはNGですけど、3年間で信頼関係を築けたからこその会話なんだろうな、とちょっと羨ましくもなりました。
生徒としては相談しやすい環境が整っていた学校だったんですよね。
卒業してからも息子は普通に高校に遊びに行くと言っているのがその証拠。
自宅が基本という高校生活で、学校に行かなければならないときは『めんどくせー』と言っていた息子ですけど、学校の存在意義は確かにあったということです。
自宅も居場所であって、学校も居場所であったんだなぁと、最後の最後に思えたところでした。
不登校の子供は、我慢して登校していた経験が必ずあります。
我慢して登校していた時は、本人は辛くとも出席日数という評価につながっていました。
全日制の高校であれば、出席日数が足りなければ進級できなくなるし、進学する際にも評価を下げる要素にもなるので、親も気にするんですよね。
これが、現在の教育システムでもあるので、それは仕方がないところと私も思っています。
でも、出席日数だけみれば学校に居場所があるように見えますけど、実際は苦痛で心の居場所からは程遠い。
反対に、息子の高校生活は家で過ごすことが多かったんですけど、いつでもフラッと行ける、そして、それを受け入れてくれる先生、友達がいる学校だった。
形だけの居場所ではなく、心の居場所でもあったのが卒業した学校なのでしょうね。
この高校で本当に良かったと思います。
かつては私も悔しさが勝り、良い高校、良い大学に入って見返してやる!
と、心の中で息巻いていたことがありましたけど、今となっては、かつての自分を微笑ましく眺められます(笑)。
この意味をあなたがどう捉えるかはわかりませんが、不登校だったからこそ、教育の原点というのを知ることができ、その大切さを私なりに定義できたとも思えているところなんですよ。