不登校はなぜ親子を苦しめ、家庭内でのギクシャクを起こすのか?
子供の葛藤と親の葛藤。
家族の幸せとは、家族全員が健康で笑顔であることでもあって、家族が1人でも苦しんでいたり、
笑顔が欠けていれば、ギクシャクするのは当然かな。
なんで、我が家ばかり・・・
と、周りの家庭を見て何度思ったかしれません。
でも、こうも取ることができます。
我が家は頑固者の集合体。
それぞれが自分の考えを譲らないところがあって、だから、険悪にもなる>_<
神様がそれではいけないよ・・・とずーっと囁いていたのかなって。
私達3人は囁きに耳を塞ぎっぱなしだったけど、同じ状況では嫌だと思うのが人間なんですよね。
人は、より良くしていくことを求める、成長していくことを求める生き物だと思えます。
どちらが変わる必要があるか、私は親なのかな、と思います。
子供にしたら、登校できない状態は『悲鳴』に近い状態。学校に居場所を見つけられない上に、自分の心も親には上手く伝えられない。わかって欲しいのに、わかってもらえない。
学校と家との二重の苦しみ、そして、もどかしさ、子供の抱える苦しさの方がはるかに大きい。
息子が抱えていた心を思うと、もっと早くに私が理解できていたら・・と思います。
親も苦しいです。将来どうなるんだろう?と度々不安に襲われ、心を保つのも大変ですから。
でも、私が言えることは、私が望むこととは違っても、息子が普通に笑顔で話してくれるのは、何より嬉しいということ。
学校に行って心がギスギス傷つくよりかは、家で心をほぐして笑顔でいてくれることの方がいいと
思えたのです。
いろんな教育観があるのは承知しています。
ルールを守ることを覚えるのも必要だし、人と関わることも必要で、たとえ嫌でも耐えて経験することがその子の将来のため。心を鬼にして、この子が将来自分で歩いて行けるように教えていく、一例として、このような教育観もあると思いますよ。
私も『その通り』とも思えるのです。
ただ、この方法は、私には苦しすぎました・・・
子供の『笑顔』に私は1番ホッとします。会話からの笑顔は私にとっては最高の喜び。
子供の笑顔を守りながら、子供が笑顔を失わないで歩ける道を創りたい。
これが私の落ち着くやり方なのだと、今は言えます。