断捨離を行って、今日は不用品で売れそうなものを売りに行ってきました。
買い取り価格の予想は自分が思っていたものと逆の展開でわからないものですね。
20年くらい前に購入したクーラーボックスと主人が海外旅行に一回のみ使ったスーツケースが
同じ買い取り価格^^
主人の買ったスーツケースは、ちょっと大きすぎて、
『一人で使うのにこんな大きいのいる?』
みたいなもので、実際、その一回しか使ってません。おそらく需要がないでしょうね。
クーラーボックスの方がはるかに需要が高くて売れるということなんでしょう。
購入した価格ではなく、売れるものが良い価格がつく。
まだ価格がついただけ良いし、処分となったらお金を払って処分ですから、ついていました^^
これで、いったん自室の断捨離は一区切り。
新しく入るスペースは確保できましたよ。
何が入ってくるかはお楽しみです^^
モノと同じで人間関係にも断捨離という言葉が使われます。
この言い方に抵抗があるのは私だけなのかな?
確かにね、嫌な人、合わない人っていますよね。その時は距離を取った方がお互いにとっていいこともあります。
ただ、人の振り見て我が振り直せで、そこで自分が振りを直せて良い方向に行けたら、その方は福の神ともなるわけだし、またお互いの波長が合うときがくれば、また仲良くやれる可能性も十分にあるわけで、何も断捨離という言葉を使わなくても・・・と思ってしまうのです。
言ってることはわかるんですけど、ちょっと私には言葉が強すぎて、もっといい表現はないものか?と思うんですよ。
不登校という言葉が、不登校の子供にとって好ましくない言葉に感じられるのと似た感覚ですね。
人に対して使う断捨離の言葉は嫌ですけど、距離を置いた方がいい人がいるというのも事実です。
確かに、人の悪口とか、不満、自分の不幸話、許せない、こういった事ばかりを聴き続けると、自分のエネルギーがなくなるほどにどっと疲れますし、また会った時に同じことを繰り返すことをする人では、自分が心の病気になりかねません。
こういう時は静かに離れればいい。
ただ、悪口や不満などを言うのが良くないからと、溜め込むのもどうかと思うんです。
これはこれで心に負担がかかりますしね。
私は人を選んで、吐き出しても良いと思う派。
ただ、最後は前向きに笑顔で締めればいいんじゃないかな、と。
不登校のお子さんを抱えながら、毎日安定した気持ちではなかなかいられないです。
不安になることもあるし、愚痴を言いたくなることだってあります。
これも話すことで、自分が何が嫌なのか、その人のどういうところが嫌なのかを知るきっかけにもなるし、そうやることで、自分は改めようという気も起きることもあります。
最後に、『また明日から頑張ってみる!』という気になれればいいんだと思います。
マイナスのことを言ったら、そのあとは、マイナス以上のプラスに変えること。
これがわかっていれば良くて、だだ垂れ流すのは要注意と思っています。
私も溜めがちな性格なんで、マイナスの言葉を吐いても、終わりを前向きに笑顔で終わらせること、これでいいって自分に言い聞かせています^^
厳しい自分にゆるゆるね^^