サイトアイコン 【大丈夫!不登校】ブログ~母の日誌

『適職』と『天職』を私はこう考えます

 

不登校の子供を持つ不安って、今学校に行けない事実が将来に響いていくのではないか?

行き着くところは、子供の将来なんですよね。

学校にも行けないで、就職できるのか、就職じゃなく自営でやるにしても、ちゃんとやっていけるのか?

この不安が大きいのではないかと思います。

 

これは不登校の子に限った話ではなくて、子供を持つ親みんなに共通することでもあって、不登校の子はさらに不利・・・ということなんでしょうね。

職業につくのに、早い人は中学を卒業してからそして、高校を卒業してから、大学を卒業してから、と続きます。

15歳から22歳ですね。

人生の比較的早い段階で自分の仕事を決めるのですから、酷と言えば酷。

本当になりたい姿を明確に描けている人にしか、これを一生の仕事にするとは言い切れないと思います。

 

ミドル、シニア世代の方の中には、転職を良しとしなくて、『我慢が足りない』と言う方もいるかもしれませんが、働くうちにやりたいことが見つかることもあって、自分が生きがいを感じられる仕事に出会うことだってあるのです。

その時その時のベストの選択をして、その環境の中で自分の100%の力を提供し、その人生の流れの中で、『これだ!』というものを掴んでいけばいいと思うのです。

 

終身雇用に代表される、一つの仕事を全うするというのも素晴らしいこと。

私の父も義父もそうでした。

ここには、父や義父が生きた時代というのもあるし、戦争を知っている世代特有の考え方もありますね。

ただ、これを現代にそっくりそのまま当てはめてしまうと、自分の秘められた才能が秘められたままで終わってしまう、そんな可能性も否定できないと私は思うのです。

 

最初の職業の選択は、

『自分にはこれが向いているかも・・・』

と思って選択する人が多いのではないでしょうか?

そして、失敗や躓き、困難、苦悩といったことを経験することで、自分の在り方を表現できる職業に出会う。

例えば、

自分が病弱だったから
・健康に関わるサプリメントを作ったり、
・食事による改善方法を勉強し提供したり、
・癒しを与えるセラピーだったり、
ということに生きがいを見出したりね^^

 

適職、天職とか言葉はありますけど、私が思う適職とは自分の特性を活かせるもので、私であれば会計がそうでした。

話したり、人と接したりするのが好きだったら、営業、販売を選ぶかもしれませんね。

車が好きだったら、セールスドライバーやバス運転手、整備士という選択もあるかもしれません。

 

そして天職とは、自分の生きてきた経験を通して導かれるもの、というようなものだと思います。

自分の思いが相手にダイレクトに乗るイメージです。

そこには自分の体験に裏打ちされたものがあって、ギラギラとお金を追う匂いは感じられず、どこか使命に燃えていて『自分一人でもやる!』というそんな気概が感じられるものです。

 

私の定義する適職だと、ここまで熱は入らないです。

でも、天職には『想い』や『念』が入り、それが伝わるんですよね、不思議だけど。

 

どんな職業かは問わないんですよ。

ある人にとっては適職かもしれなくても、ある人には天職ということも普通にあって、そこにどんな想いがあるか、ですね。

 

子供たちも初めは適職から始めるでしょう。

それでも、これからの方が長い人生なのですから、どこかで天職に出会うかもしれないですよね。

天職は自分を表現する人生にもなります。

出会えた人は人生が充実したものになるし、子供たちもそうでしょう。

これは親が決められるものではありません。子供自身が感じ、決断していくものです。

親ができるのは、そうですね、子供にとっての機会を奪わない、ことでしょうか?

 

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