息子の話によると、
『ここ1週間くらい家から出ていなかったよ^^』とのこと。
『えっ、そうだった?』
あまり良いとは言えない会話です(笑)
これが日常化しているため、私も気付かなかったということでしょうか?
確かに体調が優れない、ということはあったかもしれないけれど、なぜ気付かなかったのかというのには理由があります。
おそらく・・・朝きちんと起きてきていたから。
私も単純ですよね。
嫌なことを目にしなければ、家に引きこもっている事実さえ忘れてしまうのですから。
こうして、私が嫌なのは朝寝ていられることなんだなと確認する次第。
たぶん、夜遅くても朝さえ起きてくれれば、昼寝で寝ていようが気にならない。
これってどこから来ているんでしょうね?私の経験なのかな?
私も学生時代の長期の休みなどは、似たようなことをして親に怒られ、
でも、昼寝していても怒られることはなく・・・(笑)
非常に不思議です。
今は朝の時間が私の貴重な時間になっているので、私も『起きる』ことができます。
でも、何の目的もないと、『起きる』目的がそもそもないので、ダラダラと流される。
主人もそうだし、夏休み中のお子さんもそうでしょう。
会社がある、仕事だと思えば起きれるし、学校に行くから起きれる。
半強制的な目的かもしれないけれど、そのくらいしないとできないのが普通なのかも。
では、学校に行かず、家に引きこもる子供はどうすればいいか?という問題が出てくるんですよね。
学校に通えない子供に『目的を持て!』と言っても、ますます籠ってしまいます。
それが見えています。
なら、起きない理由が何なのか考えてみる。
そうすると、脳が探し始めます。
私の息子の場合に限って言えば、思春期、反抗期もあったのでしょうが、父親と顔を合わせたくなかったというのが一つありました。
主人が出勤した後にいつも起き出してきましたし、お腹が空けば、食を求めてリビングに来ましたしね。
今は主人が起きていようが起きてきますから、当時と今と比較することで、その理由がなんとなく想像できるんですよ。
今はなぜ平気かというと、主人もだんだんと諦めとは違うけど、在るがままの息子を受け入れられるようになってきたからなんですね。
これが息子に伝わるからなんだと思います。
だから最近の父子間はすごく和やか^^
それでも、主人の息子に対する心配度は、まだまだ高いですよ。同じ男として見るところもあるんでしょうね。
その気持ちもよ~くわかります。
でも、『今』を生きているのが私達であって、その『今』が将来を作っていくんです。
将来のゴールを見て、それを細分化して、やるべきことをやっていくのは、物理的なことに対しては有効です。
有効というか、私はそうあるべきと思っています。
でも、息子の将来の姿をプラス思考でイメージして、規律ある人として必要なことをやらせようとする。
私の中ではこれはちょっと違うかな?
親は長年生きてきて、生活習慣が大切なことも、道徳的なことが大切なのも、わかっています。
子供に身につけさせることは必要ですけど、これを言いつけたり、態度で現したりすると、反発や逃げに会うんですよね。
我が家はこの繰り返しでした。
言いつけるのではなく、それが大切であることとをいかに気付かせ、習慣にできるか?
これが難しい。
親に求められるのは、知恵と忍耐と今日も思うわけです^^